第2話 / 全149話
食われるくらいなら震えてやる
いや、待て。
選択肢が全部怖い。
まず、腐りかけ卵。
名前の時点で終わっている。
進化というより劣化ではないだろうか。
次に、魔力卵。
これはまだわかる。
魔力を持った卵。
たぶん無難だ。
たぶん。
そして、竜血卵。
強そうではある。
かなり強そうではある。
だが、今の俺は卵だ。
さっき空を飛んでいた黒い竜。
あんな災害みたいな生き物の血を受け入れて、本当に大丈夫なのか。
最後に、黒塗り。
論外だ。
名前すら見えない。
詳細も見えない。
しかも、選択非推奨。
こういうのは大抵、選んだ瞬間に取り返しがつかないやつだ。
俺は選択肢を睨んだ。
いや、睨む目はない。
でも気持ちとしては、かなり睨んでいた。
どうする。
安全そうなのは《魔力卵》だ。
でも、さっきまで俺は角の生えたウサギに食われかけていた。
震えるだけで、なんとか追い払った。
あれだって、次に同じことが通じるとは限らない。
もし次に来るのが、もっと大きな魔物だったら?
もし人間に拾われて、危険物として処分されそうになったら?
もしあの黒い竜の血が、俺の中で暴れ続けたら?
俺は、ただの魔力卵で生き残れるのか。
答えは、たぶん無理だ。
俺は弱い。
動けない。
喋れない。
逃げられない。
だからこそ、普通では駄目だ。
ひび割れた卵として生まれた時点で、まともなルートなんて残っていない。
それなら、少しでも生き残れる可能性に賭けるしかない。
俺は《竜血卵》に意識を向けた。
やっぱり危ない。
だが、自我崩壊だの即死だのとは出ていない。
黒塗りに比べれば、まだマシだ。
たぶん。
いや、マシだと思いたい。
俺は覚悟を決めた。
前世の俺は、いつも選ばなかった。
嫌な仕事も、無茶な予定も、理不尽な言葉も、全部流されるまま受け入れていた。
嫌だと言えず、変えようともせず、気づけば終わっていた。
今度は違う。
卵でも。
ひび割れていても。
何もできなくても。
選ぶ。
俺は《竜血卵》を選択した。
殻の内側が熱くなった。
どくん。
どくん。
さっき黒い竜の血が落ちた場所から、熱が広がっていく。
痛い。
いや、痛みというより、俺という存在の内側に、別の何かが無理やり入り込んでくるような感覚だった。
黒い血。
重い魔力。
獣の本能。
空を飛ぶ記憶。
焼けた大地。
割れた空。
一瞬、知らない景色が見えた。
赤黒い空。
そこに走る、巨大なひび。
その下で、黒い竜が吠えている。
竜の前には、白い仮面をつけた人影たち。
そして、さらに遠く。
空に浮かぶ、巨大な白い卵。
黒い竜が何かを叫んだ。
言葉はわからない。
けれど、意味だけが頭の奥に響く。
――孵すな。
誰を?
何を?
そう思った瞬間、黒塗りだった進化候補が、視界の端で一瞬だけ揺らいだ。
読めそうになった。
だが、その直後、警告が視界を埋め尽くした。
怖い怖い怖い。
やっぱり今触れていい情報ではなかった。
俺は全力で意識を引き戻した。
黒塗り候補が消える。
赤黒い空も、白い仮面も、巨大な卵も消える。
そして、俺はまた草原にいた。
地面。
草。
小石。
遠くの風。
自分の殻を見ることはできない。
だが、感覚でわかる。
殻の表面に、黒い紋様のようなものが走っている。
さっきまで不安定に暴れていた魔力が、少しだけ形を持った気がした。
竜血卵。
俺は本当に、竜の血を宿した卵になったらしい。
強そうだ。
かなり強そうだ。
動けないけど。
そこは変わらないのか。
俺は少しだけ落ち込んだ。
いや、待て。
魔力がある。
魔力:3/3。
さっきまでは0/0だった。
つまり、黒い竜の血で魔力器官のようなものができたということだろう。
これで魔力を使うスキルも使えるかもしれない。
俺は試しに《竜血鼓動》を意識した。
殻の内側で、どくん、と何かが鳴る。
すると、近くの草むらが揺れた。
まただ。
さっきの角つきウサギが、戻ってきた。
こいつ、諦めが悪い。
いや、俺も人のことは言えない。
卵のくせに、諦め悪く生き残ろうとしている。
角つきウサギは、前よりも警戒していた。
耳を立て、鼻をひくつかせ、俺の周りをぐるりと回る。
黒い竜の血の匂いに引き寄せられているのか。
それとも、まだ俺を食べ物だと思っているのか。
どちらにせよ、近づいてくるな。
俺は《微振動》を発動した。
ぴくり。
殻が揺れる。
角つきウサギは止まらない。
ぴくり。
まだ来る。
駄目だ。
さっきはこれで追い払えたが、今回は足りない。
俺は新しく得た《微弱竜威》を意識する。
使い方はわからない。
だが、竜の血が俺の中で脈打っている。
その鼓動を、振動に乗せるようにする。
どくん。
ぶるり。
殻が震えた。
さっきの《微振動》とは違う。
空気が低く鳴った。
魔力が減った。
やはり《威嚇振動》は魔力を使うらしい。
だが、効果はあった。
角つきウサギの動きが止まる。
赤い目が見開かれた。
耳がぴんと立つ。
次の瞬間、白い体が跳ねるように後退した。
逃げた。
今度こそ完全に逃げた。
草むらの奥へ消えていく。
勝った。
いや、追い払っただけだ。
攻撃して倒したわけではない。
だが、今の俺にとっては十分すぎる勝利だった。
俺は心の中で拳を突き上げた。
拳はない。
それでも、確かに少しだけ前に進んだ気がした。
ステータスを確認する。
防御力は相変わらず1。
竜の血を吸っても、殻は殻ということらしい。
攻撃力も相変わらず0。
敏捷も0。
つまり、俺はまだ動けない卵である。
竜の血を得ても、卵は卵。
強くなった気はするが、根本的な問題は解決していない。
とはいえ、今は生きている。
それだけで十分だ。
俺が少しだけ安心しかけた、その時だった。
草むらの向こうから、人の声が聞こえた。
「この辺りに月露草があるはずなんだけど……あれ?」
少女の声だった。
足音が近づいてくる。
そして、俺の前で止まった。
「卵?」
俺は硬直した。
いや、最初から動けないから硬直も何もないが。
少女はしゃがみ込み、俺を覗き込む。
栗色の髪。
大きな丸い目。
肩から下げた薬草袋。
手には小さな採取ナイフ。
年齢は十代半ばくらいだろうか。
少女は俺の殻を見て、目を輝かせた。
「黒い紋様……魔力反応もある。珍しい素材かも」
素材。
今、素材って言ったか?
少女は俺をそっと持ち上げた。
布に包み、籠の中へ入れる。
「とりあえず、ギルドで鑑定してもらおう。危なかったら処分だね」
俺は全力で震えた。
やめろ。
せっかく角つきウサギから逃げたのに、次は人間に処分されるのか。
異世界生活、難易度高すぎるだろ。