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トップ / 目次 / 第一部 廃棄卵編

第9話 / 全149話

便利な卵

約5,778字

 補助従魔。

 いい響きだ。

 昨日までの俺は、役割:荷物だった。

 荷物。

 食用不可。

 廃棄推奨。

 役割、荷物。

 プロフィール欄がほぼ悪口で埋まっていた俺にとって、補助従魔への昇格は大事件である。

 俺は木箱の中で、ギルドカードの内容を思い出していた。

従魔名エッグ
種別ひび割れ卵
所有者ミミル
役割補助従魔
危険度なし
備考魔力素材への反応あり。
食用不可。廃棄推奨。経過観察中。
意思表示あり。本人同意あり。

 廃棄推奨はまだ残っている。

 かなりしつこい。

 だが、役割は補助従魔。

 荷物ではない。

 これは大きい。

 俺はもう、ただ運ばれるだけの卵ではない。

 薬草を探せる。

 牙ネズミに体当たりできる。

 坂道ならそこそこ速い。

 ただし、止まれない。

 そこは今後の課題だ。

 ミミルは朝から、俺の状態を確認していた。

「昨日、転がったところ痛くない?」

 左。

 痛くはない。

「ひび、広がった感じは?」

 少し迷って、右。

 感覚としては少しある。

 ステータス上でも、ひび割れ率は31%から32%になった。

 たった1%。

 だが、軽く見てはいけない。

 俺は卵だ。

 100%でどうなるのかは、考えたくない。

「やっぱり無茶は駄目だね」

 右。

 完全同意。

 ミミルは観察記録に書く。

『転殻てんかく』

『坂道で加速』

『体当たり可能』

『ただし危険』

『止まれない』

『エッグが目を回す』

 最後。

 目はない。

 だが、回ったのは事実なので否定できない。

 俺は小さく震えた。

 ミミルは笑った。

「今日は戦闘なし。ギルドで報告と、できれば安全な依頼を探そう」

 右。

 それがいい。

 戦わずに役に立つ。

 今の俺たちには、それが一番だ。

 俺はまだ強くない。

 ミミルも戦闘向きではない。

 無理をすれば、またひびが広がる。

 昨日の体当たりは成功した。

 だが、あれを毎回やっていたら、たぶん俺はいつか割れる。

 俺たちは工房を出た。

 ミミルは昨日よりさらに慎重に俺を籠へ入れている。

 底には布を多めに敷き、左右にも丸めた布を詰めている。

 エッグ用衝撃吸収システム。

 言い方は格好いいが、要するに布である。

 ありがたい。

 ギルドへ向かう途中、ミミルは何度か周囲を見た。

 ヴァルム商会の男はいない。

 昨日の牙ネズミより、むしろ人間の方が怖い。

 俺の殻片が高品質素材だと知られた。

 それだけで、世界の見え方が少し変わる。

 ギルドに入ると、受付嬢がすぐに俺たちに気づいた。

「ミミルさん、エッグさん。おはようございます」

「おはようございます」

 俺も右へ揺れた。

 おはようございます。

 受付嬢は微笑む。

「昨日の依頼、薬品担当の方にも報告しました。月露草の状態がよかったそうです」

「本当ですか?」

「はい。エッグさんの素材反応が役に立ったようですね」

 俺は籠の中で少し得意げに震えた。

 ぶる。

 役に立った。

 その言葉には弱い。

 前世では、役に立つことが重荷になることもあった。

 でも今は、ミミルがちゃんと俺に聞いてくれる。

 勝手に使わない。

 無理させない。

 嫌ならやめる。

 その前提があるだけで、役に立つことは少し嬉しいものになる。

 受付嬢は依頼票をいくつか出してくれた。

「安全そうなものだと、薬草仕分け、倉庫の素材確認、低級薬草の追加採取あたりですね」

 戦闘はなさそうだ。

 ありがたい。

 ミミルが依頼票を見ていると、横から声が聞こえた。

「お、補助従魔の卵じゃねえか」

 ガルドだ。

 今日もいる。

 本当にいる。

 こいつはギルドの常駐設備なのか?

 ガルドは腕を組み、俺の籠を覗のぞき込んだ。

「昨日、牙ネズミに体当たりしたんだって?」

 情報が早い。

 ギルド内の噂は本当に広がるのが早い。

 俺は返事をしなかった。

 ガルドはにやにや笑う。

「転がってぶつかるだけで評価されるなんて、楽でいいなあ」

 楽ではない。

 めちゃくちゃ目が回った。

 いや、目はないが。

 ミミルが少しむっとする。

「エッグはちゃんと頑張りました」

「はいはい。荷物から昇格できてよかったな、卵」

 俺は震えた。

 こいつ、毎回微妙に腹が立つ言い方をしてくる。

 才能か?

 ガルドは俺を見ながら、ふと思い出したように言った。

「そういや、来月に従魔闘技会があるんだよな」

 従魔闘技会。

 嫌な単語が出た。

 ミミルも首をかしげる。

「従魔闘技会?」

「ああ。登録従魔を戦わせる催しだ。低ランク向けの部門もある。まあ、卵が出るようなもんじゃねえけど」

 ガルドはわざとらしく笑う。

「いや、出たら面白いかもな。転がる卵がどこまで持つか」

 俺は左へ揺れた。

 今は無理。

 絶対に無理。

 ミミルも即座に言った。

「出ません。エッグは昨日ひびが広がったばかりです」

「逃げるのか?」

 ガルドの目が少し細くなる。

 挑発だ。

 わかりやすい。

 俺は動かなかった。

 ここで右へ揺れてしまえば、乗せられたことになる。

 前世でもこういう奴はいた。

 できないの?

 逃げるの?

 やる気ないの?

 その言葉に乗って仕事を引き受けると、だいたいろくなことにならない。

 俺はもう知っている。

 無理な挑発に乗ると、割れる。

 比喩ではなく。

 ミミルは俺の籠を抱き寄せた。

「逃げるんじゃなくて、今は必要ないだけです」

 おお。

 ミミルが言い返した。

 少し成長している。

 ガルドは面白そうに笑う。

「へえ。言うじゃねえか、見習い」

 ミミルは少し緊張していたが、目をそらさなかった。

「エッグを壊すために強くしたいわけじゃありません」

 俺は小さく震えた。

 その通りだ。

 強くなりたい。

 でも、壊れるためじゃない。

 ミミルと生きるために強くなりたい。

 ガルドは肩をすくめる。

「まあ、来月までに気が変わったら見に来いよ。従魔の強さを見るには悪くねえ」

 そう言って去っていった。

 嫌な奴だ。

 ただ、完全に無意味な話でもない。

 従魔闘技会。

 今は出ない。

 絶対に出ない。

 だが、他の従魔を見る機会にはなるかもしれない。

 俺は卵だ。

 自分以外の従魔がどう戦うのか、知っておくのは悪くない。

 ただし、戦うのは嫌だ。

 割れるから。

 受付嬢が少し困ったように言った。

「ガルドさんは口が悪いですが、従魔闘技会自体はギルド公認の催しです。見学だけなら安全ですよ」

 ミミルは俺を見る。

「見学だけなら、いつか行ってみる?」

 俺は少し考えた。

 見学だけ。

 戦わない。

 安全なら。

 右へ揺れた。

「じゃあ、体調が良ければね」

 右。

 それならいい。

 その後、俺たちは倉庫の素材確認依頼を受けることにした。

 街の外には出ない。

 戦闘もない。

 俺の《素材感知》を試すにはちょうどいい。

 ギルドの倉庫は、思ったより広かった。

 木箱が積まれ、棚には薬草、魔石、骨、皮、瓶詰めの液体などが並んでいる。

 匂いがすごい。

 薬草の匂い。

 土の匂い。

 獣の匂い。

 少し腐ったような匂い。

 俺は籠の中で震えた。

 これは情報量が多い。

 《素材感知》が、あちこちに反応している。

 倉庫担当の職員が説明した。

「古い素材や劣化したものを見つけてほしい。見習いの確認作業だが、昨日の薬草探しができたなら役に立つかもしれない」

 ミミルは頷うなずく。

「やってみます」

 俺は籠から机の上に移された。

 素材箱が一つずつ近づけられる。

 ミミルが俺の反応を見る。

「これは?」

 普通。

 俺は動かない。

「これは?」

 少し濁った反応。

 俺は左へ揺れる。

 倉庫担当が確認する。

「……湿気ているな。乾燥薬草が傷みかけている」

 当たり。

 ミミルの目が輝く。

「すごい、エッグ」

 俺は少し得意げに震えた。

 次の箱。

 魔石の欠片。

 強い反応。

 でも危険ではない。

 右。

 倉庫担当が頷く。

「問題なし」

 次。

 瓶詰めの粘液。

 嫌な反応。

 かなり嫌。

 俺は強めに震えた。

 ぶるり。

 ミミルがすぐ手を止める。

「これ、危ない?」

 俺は右へ揺れた。

 倉庫担当が瓶を調べる。

「封が緩んでいる。腐食液が漏れかけているな。危なかった」

 腐食液。

 やめてほしい。

 俺の殻にかかったらどうなるのか、想像したくない。

 その瞬間、俺の殻の奥が少しだけ反応した。

腐食性素材への反応を確認しました。
殻表面への接触は危険です。
警告。
現在の個体状態では腐食耐性が不足しています。

 怖い表示が出た。

 腐食耐性不足。

 つまり、俺は溶ける可能性があるということか。

 卵の殻が溶ける。

 最悪だ。

 俺は強く震えた。

 ミミルが慌てる。

「エッグ、大丈夫?」

 右。

 大丈夫。

 ただ、あれは嫌だ。

 絶対に近づけないでほしい。

 ミミルは倉庫担当に言った。

「腐食液は、エッグから離してください」

「ああ、すまない。すぐ隔離する」

 倉庫担当は瓶を別の箱へ移した。

 ギルド内の依頼とはいえ、危険なものはある。

 油断できない。

 俺は改めて思った。

 戦わない依頼でも、割れる危険はある。

 その後も素材確認は続いた。

 湿気た薬草。

 劣化した魔石粉。

 虫がついた布素材。

 問題ない骨材。

 少しだけ魔力が乱れた小瓶。

 俺は一つ一つ反応していく。

 名前はわからない。

 だが、状態の良し悪しは少しずつわかる。

《素材感知 Lv1》の熟練度が上昇しました。
危険素材への反応精度がわずかに上昇しました。

 いい感じだ。

 俺は戦えない。

 だが、危険を察知できるなら役に立つ。

 ミミルも記録を取りながら、少しずつ自信をつけているようだった。

「エッグが反応したもの、本当に何かあるね」

 右。

 俺もそう思う。

 倉庫担当も感心したように言った。

「これは助かるな。見習いの目視確認より早い」

 見習いの目視確認。

 ミミルが一瞬だけ固まった。

 褒めているようで、少し刺さる言い方だ。

 俺は倉庫担当を見た。

 いや、見る目はない。

 だが、気持ちとしては見た。

 ミミルは見習いだ。

 でも、俺と一緒ならできることがある。

 俺は机の上で強く右へ揺れた。

 ミミルが俺を見る。

「エッグ?」

 俺はミミルの方へ体を傾けた。

 ミミルは少し考えて、小さく笑った。

「一緒にやってる、って言いたいの?」

 右。

 そう。

 ミミル一人では難しいこともある。

 俺一人では何もできないこともある。

 だが、一緒ならできる。

 それが大事だ。

 倉庫担当は少し気まずそうに咳払いした。

「いや、悪い意味ではない。ミミル君の記録も丁寧だ。二人で組むと良い補助になる」

 ミミルは照れたように頷いた。

「ありがとうございます」

 俺も右へ揺れた。

 よし。

 ちゃんと評価された。

 依頼が終わると、倉庫担当から確認印をもらった。

 受付に戻ると、報酬が少し支払われた。

 少額。

 だが、安全な依頼で報酬を得られたのは大きい。

 受付嬢は書類を見て微笑む。

「エッグさんの補助実績、追加しておきますね」

 補助実績。

 いい響きだ。

 ミミルが嬉しそうに言う。

「ありがとうございます」

 俺も右へ揺れた。

 その時、受付嬢が少し声を落とした。

「それと、ヴァルム商会から問い合わせがありました」

 空気が変わった。

 ミミルの顔が硬くなる。

 俺も震えた。

「問い合わせ……?」

「昨日の卵殻片について、継続的な買い取りが可能かどうか、という内容です」

 来た。

 やっぱり来た。

 俺は即座に左へ揺れた。

 全力で左。

 嫌だ。

 絶対に嫌だ。

 ミミルもすぐに言った。

「売りません」

 受付嬢は頷いた。

「そうお伝えしておきます。ただ、今後も直接連絡が来る可能性はあります」

「直接……」

「手紙や使いの者が来た場合、無理に対応せずギルドに相談してください」

 右。

 そうしよう。

 ミミルも頷く。

「わかりました」

 受付嬢は俺を見る。

「エッグさんも、嫌な時はちゃんと左に揺れてくださいね」

 俺は左へ揺れた。

 今すでに嫌です。

 受付嬢は苦笑した。

「はい。よく伝わりました」

 ギルドを出る頃には、俺は少し疲れていた。

 素材感知は便利だが、ずっと使うと集中力を削られる。

 卵にも集中力があるらしい。

 帰り道、ミミルは黙っていた。

 俺は籠の中で、彼女の表情を見る。

 不安そうだ。

 ヴァルム商会の問い合わせ。

 昨日の視線。

 今日の買い取り希望。

 これで終わるとは思えない。

 工房に戻ると、ミミルは扉の隙間に挟まっていた手紙を見つけた。

 封には、きれいな商会印。

 ヴァルム商会。

 俺は籠の中で震えた。

 ミミルは少し迷ったあと、封を開けた。

 中には丁寧な文字で、継続取引の提案が書かれていた。

 内容は、やけに良い。

 殻片の高額買い取り。

 研究支援。

 薬草素材の優先提供。

 工房設備の補助。

 良いことばかりだ。

 良いことばかり並びすぎている。

 前世で見た怪しい契約書と同じ匂いがする。

 ミミルは読み終えると、手紙を机に置いた。

「エッグ」

 俺は左へ揺れた。

 言われる前に拒否。

 ミミルは少し笑った。

「うん。私も断る」

 右。

 よし。

「ただ、返事はちゃんと考えて書くね。変に怒らせるのも怖いから」

 それはそうだ。

 相手は大きな素材商会。

 無視するだけで済むとは限らない。

 ミミルは手紙を畳み、別の紙を取り出した。

「今日はもう返事を書かない。明日、受付嬢さんに相談してからにする」

 右。

 それがいい。

 自分たちだけで抱え込まない。

 大事だ。

 夜。

 ミミルは今日の依頼記録を書いていた。

『倉庫素材確認』

『湿気た薬草を発見』

『腐食液の漏れを発見』

『エッグは危険素材に強く反応』

『ヴァルム商会から継続取引の手紙』

『要相談』

 俺は木箱の中で、その文字を眺めた。

 便利になった。

 役に立つようになった。

 その分、見つかりやすくなった。

 俺の殻片。

 俺の素材感知。

 俺の魔力反応。

 それらはミミルの助けになる。

 だが、同時に誰かの欲を呼ぶ。

 役に立つほど危険になる。

 この世界でも、その法則は変わらないらしい。

 俺はステータスを開いた。

通常スキル
《素材感知 Lv1》
《転殻 Lv1》
《素材感知 Lv1》の熟練度が上昇しました。
危険素材への反応精度がわずかに上昇しました。
称号《便利な卵》を獲得しました。

 便利な卵。

 嬉しいような、嫌なような称号だ。

 便利。

 その言葉には、少しだけ苦いものが混じっている。

 前世でも、便利な人間はよく使われた。

 断らない。

 頼みやすい。

 何とかしてくれる。

 そうやって便利に使われて、気づけばすり減っていた。

 今度は卵になってまで、便利扱いか。

 俺は小さく震えた。

 便利でもいい。

 でも、使い潰されるのは嫌だ。

 ミミルは俺を素材として見ない。

 だから、俺もミミルのために役に立ちたい。

 その境界線を間違えないようにしよう。

 勝手に使われない。

 勝手に売られない。

 無理をしない。

 俺は俺の殻を守る。

 たとえ、ひび割れていても。

 その夜。

 工房の外を、誰かが通り過ぎたような気がした。

 足音はすぐに遠ざかった。

 ミミルは気づいていない。

 俺は木箱の中で、しばらく窓の方を見ていた。

 闇の向こうには、何も見えない。

 だが、嫌な予感だけは、まだ消えなかった。