第19話 / 全149話
廃棄推奨、保護対象になる
目が覚めると、知らない天井だった。
いや、正確には天井を見る目はない。
それでも、ここが工房ではないことはわかる。
薬品の匂いが薄い。
木箱のきしむ音がない。
窓から入る光の角度も違う。
ギルドの仮眠室。
昨夜、俺とミミルはここで休ませてもらった。
俺は布の上で、そっと震えた。
殻の中のざわつきは、まだ残っている。
だが、昨日よりは少しましだ。
ひび周辺の熱も、少しだけ引いている気がする。
俺は自分だけに見える表示を確認した。
よし。
不安定から、やや不安定。
外部魔力残滓も、微量になっている。
まだ完全ではないが、昨日よりは確実に良い。
俺は小さく右へ揺れた。
誰に対しての右かはわからない。
たぶん自分に対してだ。
ミミルはベッドの端で眠っていた。
座ったまま寝落ちではない。
ちゃんと布団に入っている。
えらい。
かなりえらい。
俺は安心してもう一度震えた。
その音で、ミミルが目を開けた。
「……エッグ?」
右。
おはよう。
ミミルは慌てて起き上がり、俺の殻を見た。
「痛い?」
左。
「熱い?」
少し迷って、左。
昨日ほどではない。
「昨日より落ち着いてる?」
右。
落ち着いている。
ミミルはほっと息を吐いた。
「よかった……」
そして、すぐに記録を書き始める。
『朝』
『痛みなし』
『熱感やや低下』
『震え、昨日より安定』
『ひびからの光、ほぼなし』
『安静継続』
ちゃんと外から見えることだけだ。
いい。
すごくいい。
俺は右へ揺れた。
「記録、これで大丈夫?」
右。
大丈夫。
ミミルは少し笑った。
「エッグ、記録に厳しくなってきたね」
そりゃそうだ。
俺の情報管理は大事だ。
スキル名や内部状態がぽろぽろ外に漏れたら、また変な奴に狙われる。
俺は廃棄推奨の卵から、希少素材疑惑の卵になってしまったのだ。
人生、いや卵生、どこで狂うかわからない。
しばらくすると、受付嬢が部屋に来た。
「おはようございます。眠れましたか?」
「はい。少しだけ」
ミミルはそう答えた。
受付嬢は俺を見る。
「エッグさんは?」
右。
少しは眠れました。
たぶん。
「状態は昨日より落ち着いているようですね」
右。
そう思う。
受付嬢は安心したように頷いた。
「よかったです。今日はギルド長から正式な話があります。無理のない範囲で、会議室まで来られますか?」
会議室。
正式な話。
嫌な予感もするが、逃げるわけにもいかない。
俺は右へ揺れた。
ミミルも頷く。
「行きます」
俺は厚い布に包まれ、昨日よりさらに慎重に籠へ固定された。
揺れない。
転がらない。
完全に要介護卵である。
だが、今はそれでいい。
無理に動いてひび割れ率が上がったら洒落にならない。
ギルドの会議室には、ギルド長、受付嬢、鑑定士がいた。
机の上には書類が数枚。
壊れた魔力拘束具の破片も、証拠袋のような透明な袋に入れられている。
ギルド長は俺たちを見ると、すぐに椅子を示した。
「座れ。エッグは机の上でいいか」
ミミルは俺を机の端に置いた。
布を敷いてくれている。
地味にありがたい。
ギルド長はまず鑑定士へ目を向けた。
「状態確認を」
「はい」
鑑定士は水晶を置く。
淡い光が俺の表面をなぞった。
昨日よりはぞわぞわしない。
素材価値、中。
上がっている。
上がってほしくないところが上がっている。
しかも食用不可はそのまま。
いや、そこは不可でいい。
食べられたくない。
だが、素材価値が上がるのは困る。
俺は思わず左へ揺れた。
受付嬢が察したように言う。
「素材価値の表示は、売買推奨という意味ではありません。反応があるため、記録上の分類が変わっているだけです」
そうなのか。
でも嫌だ。
素材価値という言葉がもう嫌だ。
ギルド長も俺の反応を見て、低く言った。
「不快なのはわかる。だが、価値があると記録した上で、勝手に触らせない。そのための手続きだ」
なるほど。
価値がないことにすると、雑に扱われる。
価値があることを認めた上で、保護する。
それがギルド側のやり方なのか。
少しだけ納得した。
俺は小さく右へ揺れた。
ギルド長は書類を一枚出した。
「本題だ。登録従魔エッグを、ギルド保護対象として扱う」
ギルド保護対象。
また新しい肩書きが増えた。
廃棄推奨から、補助従魔になり、経過観察強化中になり、ついに保護対象。
出世なのか。
出世なのかこれ。
俺は判断に困って震えた。
ミミルが不安そうに聞く。
「保護対象って、どういう扱いですか?」
受付嬢が説明する。
「危険な魔物として隔離する、という意味ではありません。むしろ逆です。無断接触や、採取強要、売買強要から守る対象として、ギルド規約上に明記します」
採取強要。
売買強要。
言葉だけで嫌だ。
ギルド長が続ける。
「エッグには意思表示がある。従魔登録上も、本人同意ありと記録されている。ならば身体由来素材の扱いも、本人の意思を無視できん」
俺は右へ揺れた。
強く。
それは大事。
ものすごく大事。
ギルド長は書類を読み上げた。
いい。
かなりいい。
俺は右へ大きく揺れた。
ただ、その勢いで少し殻がきしんだ気がして、すぐ止まった。
安静。
今は安静。
ミミルも深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
受付嬢が微笑む。
「ギルド内にも通達します。依頼掲示板の横にも、注意事項として掲示されます」
掲示。
俺の無断接触禁止が掲示されるのか。
なんかすごい。
ちょっと恥ずかしい。
だが、必要だ。
ギルド長はさらに別の書類を出した。
「ただし、これで完全に安全になるわけではない。むしろ、保護対象にしたことで、興味を持つ者も出る」
それはそう。
保護対象という言葉自体が目立つ。
だが、何もしないよりはいい。
「だから、表に出す情報は絞る」
ギルド長は受付嬢へ視線を向けた。
受付嬢が読み上げる。
かなり強い。
ギルド除名まである。
これはありがたい。
ミミルは少し驚いていた。
「そこまでしてもらえるんですか?」
ギルド長は淡々と答える。
「二晩続けて登録従魔が襲撃された。魔力拘束具まで持ち出されている。ギルドとしても放置できん」
たしかに。
俺個人の問題だけではない。
ギルド登録した従魔が、外部の商会関係者らしき者に狙われた。
それを放置すれば、ギルドの信用にも関わる。
ギルド長は机の上の魔力拘束具を指で叩いた。
「これの流通経路は追っている。ロイム本人は行方をくらませた。ヴァルム商会本部は、奴の独断と主張している」
やっぱり独断。
便利すぎる。
ギルド長の目が少し鋭くなる。
「だが、独断かどうかはギルドが決めることではない。証拠で詰める」
おお。
頼もしい。
この人、怖いけど頼もしい。
俺は右へ揺れた。
ミミルも少しだけ安心したようだった。
鑑定士が俺の殻を観察しながら言う。
「もう一つ、状態の話をしておきましょう。昨日より落ち着いていますが、完全に安定したわけではありません」
知っています。
俺のステータスにも出ている。
鑑定士はミミルを見る。
「殻片を使った薬の試作は、しばらく停止してください。本体への補強剤も、強いものは避けるべきです」
ミミルはすぐに頷いた。
「はい。やりません」
俺も右へ揺れた。
やりません。
やらせません。
鑑定士は続ける。
「ただし、薄い安定剤での外部処置は、昨日効果がありました。強く反応しない範囲で、経過を見ながら行うのはよいでしょう」
ミミルは記録に書く。
『殻片使用薬の試作停止』
『強い補強剤禁止』
『薄い安定剤のみ、様子を見ながら』
『安静』
安静ばかりだ。
でも今はそれでいい。
ギルド長は少し考え、受付嬢に言った。
「納品についても制限をかけろ」
「低刺激回復薬の件ですね」
「ああ。問い合わせが増えている。今のまま広がると、また狙われる」
低刺激回復薬。
俺の自然に剥がれた殻片を使った、あの薬だ。
魔力の乱れが少なく、安定性が高いと評価された。
それでロイムに目をつけられた。
役に立つものほど、危険を呼ぶ。
ミミルは不安そうに俺を見た。
「しばらく、納品やめた方がいいですか?」
俺は少し迷った。
やめた方が安全。
でも、完全にやめるとミミルの収入がなくなる。
工房の修理費もある。
ギルド長が先に答えた。
「完全停止でも構わん。ただ、ミミルの生活もある。やるなら一日三本まで。ギルド経由。材料と製法の詳細は非公開。エッグの状態が悪い日は作らない」
一日三本。
かなり少ない。
だが、今はそれくらいがいい。
受付嬢が書類に追記する。
これなら、少しは安全か。
俺はミミルを見た。
いや、見られないが、そちらへ体を傾けた。
ミミルは小さく頷く。
「エッグが嫌なら作らない。作る時も、絶対に確認する」
右。
それならいい。
無理はしない。
無理に役に立とうとして割れたら意味がない。
ギルド長は俺の反応を確認し、書類に印を押した。
重い音が響く。
ぽん、ではなく、どん、だった。
ギルド長印、強そう。
こうして、俺は正式にギルド保護対象になった。
会議が終わると、受付嬢が小さな木札を持ってきた。
「これは保護対象の札です。籠や木箱につけておいてください」
木札には、ギルドの印と、短い文が刻まれている。
シンプル。
強い。
ただ、少しだけ恥ずかしい。
俺は木札を見て震えた。
ミミルが苦笑する。
「目立つの嫌?」
右。
嫌。
「でも、必要?」
右。
必要。
ミミルは木札を籠の持ち手に結んだ。
これで俺は、見た目にも保護対象卵である。
廃棄推奨からの落差がすごい。
受付嬢は少し柔らかい声で言った。
「工房の修理は今日中に最低限進めます。ですが、今夜も仮眠室を使ってください」
ミミルは素直に頷いた。
「はい。お願いします」
俺も右。
工房には戻りたい。
でも、今夜はまだ怖い。
扉が直っていない工房より、ギルドの仮眠室の方が安全だ。
昼過ぎ。
ギルドの掲示板横に、通達が貼られた。
ミミルは俺を抱えた籠を少し遠くに置き、受付嬢と一緒に確認した。
冒険者たちが集まってくる。
「なんだこれ」
「卵に無断接触禁止?」
「ギルド保護対象って、あの卵か?」
「まじかよ。廃棄推奨だったやつだろ」
そうです。
元廃棄推奨です。
今は保護対象です。
肩書きの乱高下が激しすぎる。
ガルドもいた。
腕を組んで掲示を眺め、鼻で笑う。
「ついに卵様に触るだけで罰金か」
言い方。
相変わらず言い方が悪い。
ミミルがむっとする。
「茶化さないでください」
「茶化してねえよ。むしろ良かったじゃねえか」
え。
今の言い方で?
ガルドは掲示を指で軽く叩く。
「こういうのはな、紙にして貼って初めて効く。口約束じゃ、馬鹿は止まらねえ」
それは正しい。
腹立つけど正しい。
俺はしぶしぶ右へ揺れた。
ガルドがにやりと笑う。
「また同意したな、卵」
しまった。
つい。
ミミルが俺の籠を少し抱え直した。
「エッグは安静中です」
「見りゃわかる。昨日より大人しいしな」
ガルドは俺の殻をじろじろ見ようとはしなかった。
珍しく距離を取っている。
掲示を読んだからか。
それとも、ひびが広がった俺を見て少しは気を使っているのか。
どちらにせよ、ありがたい。
ガルドは低い声で言った。
「ロイムは逃げたらしいな」
ミミルの表情が硬くなる。
「はい」
「しばらく気を抜くなよ。ああいう奴は、一回失敗したくらいじゃ諦めねえ」
知っている。
俺もそう思う。
ミミルは頷いた。
「はい」
ガルドは少しだけ視線を逸らし、ぼそっと言った。
「あと、窓も塞げ。扉だけ直しても意味ねえ」
それも正しい。
ほんと、たまにまともなことを言う。
俺は右へ揺れた。
ガルドが笑う。
「卵にもわかるか」
わかるわ。
前世でも戸締まりは大事だった。
ギルドでの通達のあと、ミミルは鑑定士から薄い安定剤を受け取った。
一日に何度も使わないこと。
熱や光が強くなるなら中止。
違和感があればすぐギルドへ。
そう説明された。
仮眠室に戻ると、ミミルは俺を机の上に置いた。
「疲れた?」
右。
疲れた。
会議だけでも疲れる。
卵なのに。
「少し安定剤、当てる?」
俺は考えた。
さっきよりは落ち着いている。
でも、まだ少し熱い。
右。
お願いします。
ミミルは布に薄い安定剤を含ませ、ひび周辺へそっと当てた。
冷たい。
じわりと熱が引く。
おお。
安定傾向。
やっと少し安心できる言葉が出た。
俺はゆっくり右へ揺れた。
ミミルが表情を明るくする。
「楽になった?」
右。
かなり。
「よかった……」
ミミルは椅子に座り、深く息を吐いた。
この二日間で、彼女もかなり消耗している。
俺は机の上から小さく震えた。
休め。
「私も休む?」
右。
「うん。休む」
よし。
よくできました。
夕方、受付嬢が工房の修理状況を知らせに来た。
「扉は仮修理が完了しました。窓には封印札を追加しています。ただ、完全修理にはもう少しかかります」
「ありがとうございます」
「それと、工房には今夜も職員を置きます。持ち物は無事です」
ミミルはほっとしたように胸を撫で下ろした。
殻片の入った箱。
記録。
薬品。
工房そのもの。
全部、ミミルにとって大事なものだ。
受付嬢は俺の木札を確認し、少し微笑んだ。
「似合っていますね」
左。
似合っていると言われても困る。
無断接触禁止札が似合う卵とは何だ。
ミミルは少し笑った。
「エッグ、嫌そう」
「でも必要ですから」
右。
必要。
嫌だけど。
夜。
ギルドの仮眠室で、ミミルは早めに横になった。
今日は昨日より眠れそうだ。
俺の状態も安定傾向。
外にはギルド職員。
ロイムは逃走中だが、ギルドが動いている。
完全に安心はできない。
だが、少なくとも昨日よりはいい。
俺は布の上で、ステータスを確認した。
称号。
また増えた。
保護対象卵。
そのまますぎる。
いや、わかりやすいけど。
俺は少し震えた。
廃棄された卵。
拾われた卵。
役に立った卵。
便利な卵。
そして、保護対象卵。
俺の称号、卵ばかりである。
当たり前か。
卵だし。
でも、悪くない。
保護対象。
守られる側。
それは少し情けない気もする。
だが、守られることを恥じる必要はない。
誰かに助けてもらうことも、生きるためには必要だ。
前世の俺は、それができなかった。
だから今度は、ちゃんと助けてもらう。
その代わり、俺もできる範囲でミミルを助ける。
無理に割れるまで頑張るのではなく。
割れない範囲で、少しずつ。
ミミルは寝息を立て始めていた。
今日はちゃんと眠れている。
俺はそれを確認して、小さく右へ揺れた。
よし。
俺も休もう。
ひび割れ率42%。
まだ怖い数字だ。
ロイムも捕まっていない。
白い仮面の夢も気になる。
世界のどこかで、俺を観測している何かがいる。
でも今夜は、考えすぎない。
今日は、保護対象になった日だ。
廃棄推奨だった俺が、守るべき存在として記録された日。
それは、たぶん悪い日ではない。
俺は布の上で、静かに震えを止めた。