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トップ / 目次 / 第一部 廃棄卵編

第22話 / 全149話

評価の裏にある思惑

約6,007字

 翌朝。

 工房の中は、いつもより静かだった。

 扉は仮修理。

 窓には封印札。

 外にはギルドの巡回。

 俺は低い棚のエッグ箱の中。

 昨日より、少しだけ日常が戻ってきた気がする。

 ただし、完全に安心はできない。

 ロイムはまだ捕まっていない。

 ヴァルム商会本部も、関与を否定している。

 俺のひび割れ率は42%。

 つまり、何も終わっていない。

 俺は自分だけに見える表示を確認した。

生命力3/3
魔力3/3
ひび割れ率42%
状態安定傾向を維持
外部魔力残滓ほぼ沈静

 よし。

 少なくとも、俺自身は安定している。

 今のところは。

 机の上には、昨日作った割れ物保護材の試験品が並んでいた。

 採取瓶十本分。

 ガルドの古瓶一本。

 どれも底や側面に薄く塗って、昨夜から乾かしてある。

 ミミルは一つずつ指で触り、乾き具合を確かめていた。

「……うん。乾いてる」

 右。

 よかった。

 塗りが厚すぎるものは、端が少し白くなっている。

 薄く塗れたものは、半透明で目立たない。

 品質に差がある。

 ミミルもそれに気づいて、記録に書く。

『乾燥後確認』

『薄塗りは安定』

『厚塗りは端が白く残る』

『塗布量の統一が必要』

『十本中、仕上がり良好六本』

『要再調整四本』

 六本。

 十本作って、ちゃんと使えそうなのは六本。

 歩留まり六割。

 前世の工場なら改善会議が始まりそうだ。

 いや、俺は工場勤務ではなかったが、そういう面倒な空気は知っている。

 ミミルは少し肩を落とした。

「全部同じにするの、難しいなあ」

 右。

 難しい。

 でも、最初なら悪くないと思う。

 俺は小さく震えた。

「悪くない?」

 右。

 たぶん。

 ミミルは少しだけ笑った。

「ありがとう。じゃあ、良かったものだけ持っていこう」

 右。

 それがいい。

 無理に全部出す必要はない。

 駄目なものまで見せて評価を下げるより、良いものと失敗記録を一緒に出す方がいい。

 ミミルは良好な六本と、ガルドの古瓶、それから失敗した四本も別袋に分けた。

「失敗した分も、原因を見るために持っていくね」

 右。

 それは良い。

 失敗を隠さない。

 大事。

 ギルドへ向かう道中、俺は相変わらず保護対象の木札つき籠の中だった。

 街の人間の視線は、昨日より少し増えている気がする。

「ほら、あれだ」

「触ったら駄目な卵」

「ギルドが守ってるやつ」

 やめろ。

 触ったら駄目な卵って何だ。

 間違ってはいない。

 でも嫌だ。

 ミミルは籠を抱え直し、足早にギルドへ入った。

 道具管理室では、ボルグさんがすでに待っていた。

 机の上には昨日の記録。

 空の採取瓶。

 水の入った小皿。

 それから、厚い布袋。

 完全に試験する気満々である。

「持ってきたか」

「はい。良さそうなのが六本分、調整が必要なのが四本分です」

 ミミルは最初にそう言った。

 ボルグさんの眉が少し上がる。

「駄目な分も持ってきたのか」

「はい。原因も見てもらいたくて」

「いい判断だ」

 お。

 褒められた。

 ミミルの顔が少し明るくなる。

 俺も籠の中で右へ揺れた。

 ボルグさんはまず、良好な六本分を確認した。

 指で押す。

 爪で軽くこする。

 瓶立てに入れる。

 布袋に入れて振る。

 それから、厚い木板の上に軽く落とす。

 こん。

 こん。

 こん。

 割れない。

 ただし、一本は端が少し剥はがれた。

「六本中、五本は試験に使える。一つは端処理が甘い」

 ミミルはすぐに記録する。

『六本中五本合格』

『端処理不足一本』

『乾燥後に端をならす必要あり』

 次に、調整が必要な四本。

 こちらは厚塗りで、端が白く残っている。

 ボルグさんはそれを見るなり言った。

「これは売り物にはならん。見た目も悪いし、剥がれやすい」

「はい」

「ただ、衝撃自体は逃がしている。悪いのは配合だけじゃなく、塗り方だな」

 塗り方。

 ミミルが顔を上げる。

「塗り方ですか」

「お前、瓶の底から側面へ、一気に塗っただろ」

「はい」

「底と側面で厚さを変えろ。底は少し厚くていい。側面は薄く伸ばせ。端は指じゃなく、平たい木片でならす」

 ボルグさんは実際に木片を使って、剥がれかけの端をならして見せた。

 なるほど。

 道具担当、すごい。

 錬金術の配合ではなく、道具としての使い勝手を見ている。

 ミミルの目が真剣になる。

「やってみます」

「あと、瓶の首には塗るな。そこを厚くすると栓が合わなくなる」

「はい」

 実用の知識が多い。

 これはかなりありがたい。

 俺は右へ揺れた。

 ボルグさんは俺をちらっと見た。

「卵も納得か」

 納得です。

 ボルグさんは鼻で笑い、ガルドの古瓶を手に取った。

 かなり傷だらけの採取瓶。

 それに塗った保護材は、思ったよりよくなじんでいた。

「古い瓶の方が食いつきがいいな」

 ミミルが驚く。

「そうなんですか?」

「細かい傷に入り込んでる。新品より密着してるかもしれん」

 なるほど。

 新品に塗るより、使い込んだ瓶の補修に向いている可能性がある。

 これは予想外だ。

 ボルグさんはガルドの古瓶を布袋に入れて、他の瓶と一緒に振った。

 がちゃがちゃ。

 嫌な音。

 だが、古瓶は割れなかった。

 ボルグさんは瓶を取り出し、少し感心したように言った。

「ガルドの瓶は実地試験に回す。あいつが普段通り使って、割れなきゃ使い道はある」

 そこへ、ちょうど本人が顔を出した。

「俺の瓶、まだ生きてるか?」

 また来た。

 本当に都合よく来る。

 いや、自分の瓶が気になっただけか。

 ボルグさんは古瓶を投げるように渡した。

「底に塗ってある。水には弱い。川に突っ込むな。過信するな。割れても文句言うな」

「注文多いな」

「試験品だ」

 ガルドは瓶を眺めた。

「見た目は地味だな」

 右。

 それでいい。

 地味でいい。

 ガルドは俺の反応を見て笑った。

「卵は地味推しか」

 そうです。

 地味推しです。

 命がかかっているので。

 ミミルが少し緊張しながら言った。

「まだ売り物じゃありません。試験だけです」

「わかってる。使ってみるだけだ」

 ガルドは瓶を袋に戻した。

「採取依頼で一回使ってくる。割れたら割れたで報告する」

 それはありがたい。

 言い方は雑だが、現場試験としてはかなり有用だ。

 受付嬢もやって来て、今日の結果を確認した。

 ボルグさんが簡単に説明する。

「採取瓶用としては見込みあり。水に弱い。品質のばらつきあり。古瓶の補修に向く可能性あり」

 受付嬢は書類に書き込む。

「ギルド内部評価としては、試験継続ですね」

「ああ。販売はまだ早い」

「価格評価は?」

 価格。

 また金。

 ミミルが少し緊張する。

 ボルグさんは材料表を見た。

「材料は安い。手間がかかる。乾燥時間もある。採取瓶一本分で銅貨二枚から三枚ってところか」

 ミミルの顔が微妙になる。

 高いのか安いのか、俺にはわからない。

 だが、修理費を返すには、かなり数を作らないといけない雰囲気はある。

 受付嬢が言った。

「ギルド内部試験の分は、材料費と手間賃を合わせて少額ですが支払えます」

 ミミルはぱっと顔を上げた。

「本当ですか?」

「はい。ただ、正式な商品扱いではなく試験協力費です」

 試験協力費。

 いい響きだ。

 少額でも収入になる。

 俺は右へ揺れた。

 ミミルも嬉しそうに頷うなずいた。

「ありがとうございます」

 だが、そこでボルグさんが腕を組んだ。

「ただし、評価が上がれば欲しがる奴も出る」

 空気が少し重くなる。

 受付嬢も頷いた。

「採取瓶だけならまだ地味です。ですが、薬瓶の運搬に使える可能性があるとなると、薬師ギルドや商会が興味を持つかもしれません」

 来た。

 評価の裏側。

 便利だと評価される。

 それは嬉しい。

 だが、同時に誰かが欲しがる。

 数を求める。

 安く買いたがる。

 独占したがる。

 そういう話になっていく。

 ミミルは少し顔をこわばらせた。

「薬瓶の方は、まだ公開しないんですよね?」

「はい。昨日の記録は内部扱いです」

 受付嬢はそう言ったが、少し言葉を選んでいた。

「ただ、人の口は完全には止められません。道具管理室での試験を見た職員もいます。『ミミルさんが割れにくい瓶を作ったらしい』くらいの話は広がる可能性があります」

 割れにくい瓶。

 それくらいならまだいい。

 でも、噂は育つ。

 割れにくい瓶が、割れない瓶になる。

 割れない瓶が、魔力薬を安定させる瓶になる。

 魔力薬を安定させる瓶が、奇跡の薬瓶になる。

 そしてなぜか、卵の力だと言われる。

 最悪の未来が見える。

 俺は左へ揺れた。

 ミミルも同じ気持ちだったのか、すぐに言った。

「エッグの名前は出したくありません」

「もちろんです」

 受付嬢ははっきり頷いた。

「表向きは、ミミル工房の割れ物保護材。用途は採取瓶の軽度衝撃緩和。そこまでに留めます」

 右。

 それでお願いします。

 ボルグさんも頷いた。

「薬瓶の話は、俺のところで止める。だが、完全に隠すなら試験も進まん。どこまで出すかは決めておけ」

 どこまで出すか。

 難しい。

 全部隠せば安全。

 だが、何も進まない。

 少し出せば評価される。

 だが、目立つ。

 俺たちは今、その境目に立っている。

 ミミルは記録帳を握りしめた。

「私は、エッグを危険にしたくありません」

 右。

 それは大事。

「でも、工房も続けたいです」

 右。

 それも大事。

「だから、少しずつ。ギルドの中だけで試します」

 右。

 その方針でいい。

 受付嬢は微笑んだ。

「では、その方針で記録します。試験範囲はギルド内部。用途は採取瓶。数量制限あり。エッグさんの名前は出さない」

 ボルグさんが低く言う。

「それでいい。最初から大きく売ろうとする奴は、だいたい失敗する」

 重い。

 実感がこもっている。

 ミミルは頷いた。

「はい」

 その時、道具管理室の外から、冒険者たちの声が聞こえた。

「おい、ミミルの瓶、割れにくいらしいぞ」

「まじか。採取で使えるなら欲しいな」

「卵が作ったのか?」

「いや、ミミルが作ったんだろ」

 もう広がっている。

 早い。

 早すぎる。

 そして、もう卵の名前が混ざっている。

 俺は籠の中で震えた。

 ミミルの顔も強張る。

 ガルドが扉の方を見て、舌打ちした。

「ほらな。便利そうな匂いがしたら、すぐこれだ」

 受付嬢はすぐに外へ出た。

 穏やかだが、通る声で言う。

「現在はギルド内部の試験品です。販売予定はありません。エッグさんは関係ありません。無断で近づかないように」

 きっぱり。

 ありがたい。

 冒険者たちは少し気まずそうに散っていった。

 だが、噂は完全には消えないだろう。

 俺は小さく震えた。

 ガルドは俺を見て言った。

「目立つのが嫌なら、名前を出させるな。あと、効果を盛らせるな」

 正論。

 腹立つくらい正論。

 俺は右へ揺れた。

 ガルドはにやっと笑った。

「今日も素直だな、卵」

 うるさい。

 素直なのではない。

 正しいことに同意しているだけだ。

 ミミルは受付嬢に頭を下げた。

「ありがとうございます。ちゃんと説明してもらえて助かりました」

「いえ。ここからは情報の扱いも大事になります」

 受付嬢は少し真剣な顔で続ける。

「評価されるということは、守るものが増えるということです。製法、数量、名前、関係者。全部、慎重に決めましょう」

 評価されるということは、守るものが増える。

 俺はその言葉を殻の内側で繰り返した。

 役に立つことは、嬉しい。

 でも、評価されると、狙われる。

 それは俺自身だけではない。

 ミミルの工房。

 製法。

 材料。

 取引先。

 全部が狙われる可能性がある。

 前世でいうなら、弱小会社が急にバズって、大企業に目をつけられる感じだ。

 嫌すぎる。

 午後、ミミルは工房へ戻って、今日の記録を整理した。

 試験協力費として、小さな袋に入った硬貨を受け取っている。

 大金ではない。

 だが、確かな収入だ。

 ミミルは袋を机に置き、じっと見つめた。

「初めて、エッグの殻片じゃないものでお金になった」

 右。

 そう。

 それは大きい。

 俺の体を削らずに、ミミルの技術で得た収入。

 小さい。

 でも、大事な一歩だ。

 ミミルは少し笑った。

「嬉しいね」

 右。

 嬉しい。

 俺も嬉しい。

 ただ、怖さもある。

 ミミルも同じようで、すぐに表情を引き締めた。

「でも、広げすぎない」

 右。

「エッグの名前は出さない」

 右。

「薬瓶の話は、まだ出さない」

 右。

「採取瓶用だけ、ギルド内部で試験」

 右。

 よし。

 方針確認、大事。

 ミミルは記録帳に大きく書いた。

『方針』

『小さく試す』

『大きく売らない』

『エッグを目立たせない』

『ギルド経由』

『製法は非公開』

『薬瓶効果は未公開』

 現代の事業計画みたいになってきた。

 だが、今回は必要だ。

 ミミルは商売に強いわけではない。

 俺も強くない。

 だからこそ、書いて確認する。

 それくらいでちょうどいい。

 夕方、受付嬢から伝言が届いた。

 薬師ギルドから、低刺激回復薬の件で正式な問い合わせが来ているらしい。

 さらに、採取瓶用の保護材についても、試験結果が出たら話を聞きたいという。

 ミミルの顔が固まった。

「もう……?」

 早い。

 早すぎる。

 噂が回ったのか。

 それとも、もともと低刺激回復薬の件で注目していたのか。

 どちらにせよ、薬師ギルドが動いた。

 ロイムとは違う。

 商会でもない。

 だが、相手が大きいことに変わりはない。

 俺は小さく震えた。

 ミミルは俺を見る。

「エッグ、どうしよう」

 俺はすぐには揺れなかった。

 断るべきか。

 聞くだけ聞くべきか。

 ギルド経由なら安全か。

 でも、薬師ギルドが相手なら、薬瓶の反応に食いつく可能性がある。

 これは慎重にしなければならない。

 俺は少し考えてから、右へ小さく揺れた。

 ただし、条件付き。

 それを伝えるのは難しい。

 ミミルは俺の動きを見て、少しずつ確認した。

「話を聞くだけなら?」

 右。

「でも、エッグのことは出さない?」

 右。

「薬瓶の反応も、まだ言わない?」

 右。

「ギルドの人に同席してもらう?」

 右。

 完璧。

 今回はかなり伝わった。

 ミミルはほっと息を吐いた。

「わかった。受付嬢さんに、そう返事する」

 右。

 それでいい。

 夜。

 工房の外では、巡回の足音が聞こえていた。

 扉は仮修理のまま。

 窓には封印札。

 低い棚にはエッグ箱。

 机の上には、割れ物保護材の記録と、小さな硬貨袋。

 今日得たものは小さい。

 でも、その小さな評価の裏に、いくつもの思惑が見え始めている。

 ギルドは安全に管理したい。

 ボルグさんは実用性を見ている。

 冒険者は安く便利な道具が欲しい。

 薬師ギルドは薬の運搬や品質に興味を持つ。

 そして、どこかでロイムがまだ俺を諦めていないかもしれない。

 便利なものは、勝手に面倒になる。

 本当にその通りだ。

 俺はエッグ箱の中で、静かにステータスを確認した。

生命力3/3
魔力3/3
ひび割れ率42%
状態安定傾向を維持
《素材感知 Lv1》の熟練度が微量上昇しました。
《魔力安定・未獲得》への適性を維持しています。

 俺自身は、安定している。

 だが、周囲は少しずつ動き始めている。

 評価されるのは嬉しい。

 でも、評価の裏には思惑がある。

 その全部を見抜く力は、今の俺にもミミルにもない。

 だからこそ、急がない。

 ギルドを通す。

 小さく進む。

 俺はミミルの方へ小さく震えた。

 彼女は記録帳を閉じて、布団に入るところだった。

「エッグ、明日は薬師ギルドの話、受付嬢さんに相談しようね」

 右。

 そうしよう。

 新しい依頼の気配。

 新しい不安。

 それでも、逃げてばかりでは進めない。

 割れないように。

 削られないように。

 でも、少しずつ前へ。

 俺は静かに震えを止めた。