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トップ / 目次 / 第一部 廃棄卵編

第23話 / 全149話

新たな依頼と不安

約7,199字

 翌朝。

 工房の空気は、少しだけ日常に戻っていた。

 扉はまだ仮修理。

 窓には封印札。

 外にはギルドの巡回。

 机には、割れ物保護材の試験記録。

 低い棚には、俺のエッグ箱。

 そして俺は、今日も割れていない。

 それだけで十分えらい。

 俺は自分だけに見える表示を確認した。

生命力3/3
魔力3/3
ひび割れ率42%
状態安定傾向を維持

 よし。

 安定。

 ひび割れ率も増えていない。

 この数字を見るたび、少し安心する。

 下がらないのは悲しい。

 だが、上がっていないなら勝ち。

 今の俺は、勝利の基準が低い。

 卵なので仕方ない。

 ミミルは朝から記録帳を開いていた。

 昨日、薬師ギルドから問い合わせが来た。

 内容は二つ。

 一つは、低刺激回復薬について。

 もう一つは、割れ物保護材について。

 どちらも、俺たちにとっては嬉しい話のはずだ。

 だが、同時に怖い話でもある。

 低刺激回復薬には、俺の自然に剥はがれた殻片が関係している。

 割れ物保護材には、俺の素材は使っていない。

 でも、薬瓶で予想外の反応が出た。

 泡立ちが少し減った。

 たったそれだけ。

 でも、薬師ギルドが聞けば興味を持つかもしれない。

 便利なものは、勝手に面倒になる。

 ガルドの言葉が、また頭に浮かんだ。

 ミミルは俺を見る。

「エッグ、今日の話だけど」

 右。

 聞いてる。

「薬師ギルドの人と直接会うんじゃなくて、まず受付嬢さんとギルド長に相談してからにする」

 右。

 それがいい。

「低刺激回復薬のことも、保護材のことも、こっちから詳しく話しすぎない」

 右。

 大事。

「エッグの殻片のことは、絶対に勝手に言わない」

 右。

 絶対。

「もし何か頼まれても、その場で返事しない」

 右。

 完璧。

 ミミルは少しだけ笑った。

「エッグ、今日は全部右だね」

 そうですね。

 今回は方針がまともなので。

 俺は小さく震えた。

 ミミルは記録帳の隅に、今日の確認事項を書いた。

『薬師ギルド問い合わせ』

『まず冒険者ギルドに相談』

『ギルド同席』

『その場で即答しない』

『エッグ由来素材の詳細非公開』

『保護材は採取瓶用として説明』

『薬瓶の反応は未確定』

『数量制限を守る』

 いい。

 すごくいい。

 前世の会議前メモみたいで少し嫌だが、今回は命がかかっている。

 必要なメモだ。

 俺は保護対象の木札つき籠に入れられ、ミミルに抱えられてギルドへ向かった。

 道中、視線は相変わらず多い。

「触ったら駄目な卵だ」

「ミミルの瓶、試験で良かったらしいぞ」

「卵が作ってるんじゃないのか?」

 違う。

 俺は作っていない。

 手もない。

 保護材はミミルが作っている。

 俺は心の中で強く否定した。

 だが、声は出ない。

 こういう噂をどう止めるか。

 かなり難しい。

 ギルドに着くと、受付嬢がすぐに奥の相談室へ案内してくれた。

 中にはギルド長もいた。

 昨日ほど重苦しい会議室ではない。

 だが、机の上には書類が数枚置かれている。

 薬師ギルドからの正式な問い合わせ書だろう。

 ギルド長は俺たちを見ると、短く言った。

「来たか」

「はい」

 ミミルが少し緊張した声で答える。

 俺も籠の中で右へ小さく揺れた。

 来ました。

 ギルド長はまず俺の木札を見た。

「状態は?」

 ミミルが答える。

「熱も痛みもありません。震えも安定しています」

 受付嬢が補足する。

「今朝の確認記録でも、外見上の異常はありません」

 ギルド長は頷うなずいた。

「無理はさせるな。今日は話だけだ」

 右。

 その方針、大賛成。

 ギルド長は書類を一枚、ミミルの前へ置いた。

「薬師ギルドからの問い合わせだ。まず低刺激回復薬について」

 ミミルの背筋が伸びる。

 俺も少し緊張した。

 ギルド長は読み上げる。

「通常の回復薬で魔力刺激を受けやすい患者向けに、低刺激回復薬を試験提供できないか、という依頼だ。数は少量。対象は軽傷者。使用判断は薬師ギルド側。製法の開示要求はなし」

 少量。

 製法開示なし。

 思ったより慎重だ。

 俺は少しだけ安心した。

 受付嬢が続ける。

「ただし、薬の由来や補助材について質問される可能性はあります。その場合、詳細は非公開と答えます」

 右。

 そうしてください。

 ミミルが俺を見る。

「エッグ、嫌なら断る」

 俺は少しだけ考えた。

 低刺激回復薬には、自然に剥がれた殻片を使う。

 新しく削るわけではない。

 それでも、俺の体の一部だ。

 気軽には使いたくない。

 でも、困っている人がいるなら、一本くらいなら試してもいいかもしれない。

 俺は、ゆっくり右へ揺れた。

 ミミルは少し安心したように息を吐く。

「作ってもいい?」

 右。

「じゃあ、薬師ギルドに渡してもいい?」

 右。

「何本かまとめて?」

 左。

 違う。

 まとめては駄目だ。

 ミミルがはっとした顔をする。

「少ない方がいい?」

 右。

「一日三本までの範囲?」

 俺は少し迷って、左へ揺れた。

 それでも多い。

 ミミルは眉を寄せる。

「三本でも多い?」

 右。

「じゃあ……今回は一本だけ?」

 右。

 そう。

 一本だけ。

 ミミルは慎重に頷いた。

「一本だけ。ギルド経由。製法は出さない。エッグの状態が悪い日は作らない」

 右。

 今度は迷わず揺れた。

 受付嬢はそのやり取りを見て、書類に記録した。

 ただし、外向けの文面にはそのまま書かない。

 そこは大事だ。

 ギルド長も同じ考えだったらしく、低く言った。

「内部記録では、ミミルとエッグ双方の確認を必須にする。だが、薬師ギルド向けにはそう書かん」

 俺は右へ揺れた。

 かなり大事。

 ギルド長は続ける。

「外にはこう出す。低刺激回復薬は、ミミル工房の試験品。製法と補助材の詳細は非公開。提供可否は、製作者および冒険者ギルドの確認後に判断する」

 それならいい。

 エッグ本人の同意、と外に出すと、薬に登録従魔が関係していると自分から言っているようなものだ。

 ぼかせるところは、ぼかす。

 隠すべきところは、隠す。

 俺は強く右へ揺れたかったが、安静中なので小さく揺れた。

 受付嬢が書類を二種類に分けて書く。

内部管理条件
低刺激回復薬の製造は一回一本まで。
ミミルおよび登録従魔エッグの確認を必須とする。
エッグの状態不良時は製造停止。
製法および補助材の詳細は非公開。
提供は冒険者ギルド経由のみ。
外部回答案
低刺激回復薬は、ミミル工房の試験品。
製法および補助材の詳細は非公開。
提供可否は、製作者および冒険者ギルドによる確認後に判断する。
初回提供は一本のみ。
追加提供は試験結果確認後、別途協議とする。

 いい。

 かなりいい。

 内部では俺の意思を守る。

 外には俺の関与を必要以上に出さない。

 この二段構えが大事だ。

 ギルド長は二枚目の書類を出した。

「次に、割れ物保護材についてだ」

 来た。

 こちらの方が厄介かもしれない。

 俺の殻片は使っていない。

 だから安全。

 そう思いたい。

 だが、薬瓶の泡立ち軽減という予想外の反応が出ている。

 それが広がると、面倒になる。

 ギルド長は言った。

「薬師ギルドは、採取瓶用の軽度衝撃緩和材として話を聞きたいと言っている。薬瓶については、まだこちらから伝えていない」

 よし。

 そこは止まっている。

「ただし、薬師ギルド側は薬瓶にも応用できるのではないかと推測している可能性がある」

 やっぱり。

 専門家なら、採取瓶に使えると聞けば薬瓶にも使えるかもと考える。

 そこは避けられない。

 ミミルが不安そうに聞く。

「どうしたらいいですか?」

 ギルド長は腕を組んだ。

「まず、採取瓶用としてのみ試験中と答える。薬瓶への応用は未検証。安全性確認前の提供はしない。これで押し返す」

 受付嬢が書類に書き込む。

「面会する場合も、ギルド同席。製法非公開。数量制限。試験品の持ち出し不可。必要なら、こちらで条件を付けます」

 右。

 それでお願いします。

 かなり慎重。

 俺は安心しかけた。

 だが、ギルド長は続けた。

「問題は、向こうが悪意ある相手ではないということだ」

 俺は震えを止めた。

「薬師ギルドは、患者のために必要だと考えている。善意で急がせてくる可能性がある」

 善意。

 厄介な言葉だ。

 ロイムのような明確な敵なら、断りやすい。

 だが、困っている患者がいる。

 低刺激の薬が必要。

 薬瓶の品質も守りたい。

 そう言われたら、ミミルは断りづらい。

 俺も、心が揺れる。

 ミミルは唇を噛んだ。

「助けたいとは思います。でも、エッグを危なくしたくないです」

 右。

 それが正しい。

 助けたい。

 でも、危険にはしたくない。

 両方本当だ。

 ギルド長は静かに頷いた。

「だから、線を引け。一本だけ。採取瓶だけ。製法は出さない。次を求められても、状態確認後にギルドで判断する」

 線を引く。

 大事。

 非常に大事。

 前世の俺は線を引けなかった。

 頼まれたら全部受けて、気づけば終電も休日も消えていた。

 異世界で卵になってまで、同じ失敗をしてたまるか。

 俺は右へ強く揺れた。

 少し殻がきしんだ気がして、すぐ止めた。

 安静。

 忘れていた。

 受付嬢が苦笑する。

「エッグさんも賛成ですね」

 賛成です。

 かなり。

 その時、相談室の扉が軽く叩かれた。

 受付嬢が確認に出る。

 少しして戻ってきた。

「薬師ギルドの使いの方が、すでに来ています」

 早い。

 早すぎる。

 ミミルの顔が固まる。

 俺も震えた。

 ギルド長の眉が少し動いた。

「約束の時間より早いな」

「はい。正式な代表ではなく、確認役の薬師だそうです。面会は希望されていますが、どうしますか?」

 ミミルが俺を見る。

 俺も迷う。

 会うか。

 会わないか。

 ここで逃げるのも一つ。

 だが、ギルド長と受付嬢が同席してくれるなら、話だけ聞くことはできる。

 ギルド長が言った。

「俺が同席する。話だけだ。ミミル、無理なら断れ」

 ミミルは深呼吸した。

「……話だけ、聞きます」

 俺は右へ揺れた。

 話だけ。

 絶対に即答しない。

 受付嬢が薬師ギルドの使いを通した。

 入ってきたのは、細身の女性だった。

 年齢はミミルより少し上くらい。

 灰色のローブに、薬師ギルドの小さな紋章。

 表情は疲れているが、目は真剣だった。

「薬師ギルド所属のセリアと申します」

 セリアさんは丁寧に頭を下げた。

「急な訪問となり、申し訳ありません」

 ロイムとは違う。

 丁寧さに嫌な粘りはない。

 だが、それでも俺は警戒した。

 丁寧な人間が安全とは限らない。

 最近、それを学んだばかりだ。

 セリアさんはミミルを見た。

「低刺激回復薬を作られたのは、あなたですね」

「はい。ただ、試験品です」

 ミミルはすぐに言った。

「製法や補助材の詳細は、冒険者ギルド管理で非公開です」

 おお。

 先に線を引いた。

 えらい。

 セリアさんは少し驚いたようだったが、すぐに頷いた。

「承知しています。今日は製法を聞きに来たのではありません」

 それならよし。

 少し安心。

 セリアさんは鞄から小さな書類を出した。

「通常の回復薬で発熱や魔力酔いを起こす患者がいます。軽傷でも、薬を使うと逆に寝込むことがある。そういう人に、低刺激の回復薬を試験したいのです」

 魔力酔い。

 この世界にも薬の相性問題があるらしい。

 ミミルの表情が揺れる。

 助けたい顔だ。

 俺にはわかる。

 ギルド長が低い声で言った。

「試験は一本だけだ。対象も軽傷者に限る。結果は文書で冒険者ギルドへ戻す。追加要求はその後判断する」

 セリアさんはすぐに頷いた。

「はい。その条件で構いません」

 意外とすんなり。

 良かった。

 だが、話はそこで終わらなかった。

 セリアさんは少し迷ってから、続けた。

「それと、採取瓶の保護材についても伺いたいのですが」

 来た。

 ミミルの肩が少し強張る。

「まだ試験段階です」

「承知しています。薬師ギルドとしては、薬瓶の運搬にも応用できる可能性があるなら、将来的に相談したいと考えています」

 将来的に。

 今すぐではない。

 だが、やはり薬瓶の話が出た。

 ミミルは記録帳を握った。

「今は採取瓶用としてだけ試しています。薬瓶については、まだ安全確認ができていません」

 右。

 良い返答。

 セリアさんはミミルの言葉を遮らずに聞いた。

「わかりました。では、現時点で薬瓶用として求めることはしません」

 ちゃんと引いてくれる。

 良い人かもしれない。

 でも、まだ安心しきってはいけない。

 セリアさんは俺の籠を見た。

 保護対象の木札が揺れている。

「こちらが、登録従魔のエッグさんですね」

 俺は少しだけ身構えた。

 セリアさんは近づかなかった。

 距離を保ったまま、軽く頭を下げる。

「受付で、無断接触は禁止と伺っています。近づきません」

 おお。

 わかっている。

 かなり好印象。

 俺は小さく右へ揺れた。

 挨拶です。

 セリアさんは少し目を丸くした。

「……今のは、こちらへの反応ですか?」

 受付嬢がすぐに間へ入った。

「エッグさんは現在、安静中です。反応の確認や質問は、必要最低限でお願いします」

 セリアさんは慌てて頭を下げた。

「失礼しました。保護対象だとは伺っていましたが、実際に拝見するのは初めてでしたので」

「ご理解ください」

「はい。もちろんです」

 この流れならいい。

 薬師ギルドに、俺の右左の意味まで共有されているわけではない。

 セリアさんも、受付で無断接触禁止と聞いただけだ。

 実際に俺が揺れたから驚いた。

 それだけ。

 情報管理、大事。

 俺は籠の中で、できるだけ静かにした。

 セリアさんはミミルへ向き直る。

「低刺激回復薬の試験提供は、いつ頃可能でしょうか」

 ミミルは俺を見た。

 俺は少し考えた。

 今日の状態は安定傾向。

 自然に剥がれた殻片は、工房に少量ある。

 一本だけなら、おそらく作れる。

 だが、今日は面会で疲れている。

 焦る必要はない。

 俺は左へ揺れた。

 ミミルがすぐに確認する。

「今日じゃない方がいい?」

 右。

 そう。

「明日、状態を確認してから?」

 右。

 それがいい。

 ミミルはセリアさんに言った。

「今日は作りません。明日、工房と材料の状態を確認してから判断します。無理そうなら延期します」

 セリアさんは少しだけ焦った顔をしたが、すぐに頭を下げた。

「わかりました。患者の都合もありますが、無理をさせるつもりはありません」

 患者の都合。

 その言葉で、ミミルの顔がまた揺れた。

 だが、今度は飲み込んだ。

「明日、確認してからです」

 ちゃんと言えた。

 俺は右へ揺れた。

 ミミル、えらい。

 ギルド長も満足そうに頷いた。

「それでいい」

 受付嬢は条件を書き取った。

低刺激回復薬・外部提供条件
本数初回一本のみ
対象軽傷者
使用判断薬師ギルド責任
結果報告冒険者ギルドへ文書提出
製法詳細非公開
補助材詳細非公開
追加依頼結果確認後、別途協議
提供可否製作者および冒険者ギルドの確認後に判断

 よし。

 外向けの文面に、俺の名前はない。

 それでいい。

 セリアさんは最後に、少しだけ申し訳なさそうに言った。

「急がせるような形になってしまい、すみません」

 ミミルは首を振った。

「困っている人がいるなら、助けたい気持ちはあります。でも、無理はできません」

「はい」

 セリアさんは静かに頷いた。

「その線引きは、必要だと思います」

 その言葉で、少しだけ空気が柔らかくなった。

 セリアさんが帰ったあと、ミミルは椅子に座り込んだ。

「……緊張した」

 右。

 俺も。

 かなり。

 受付嬢がお茶を出してくれた。

「よく線を引けていましたよ」

 ミミルは少し照れたように笑う。

「エッグと朝に確認したので」

 俺は右へ揺れた。

 確認大事。

 ギルド長は書類をまとめながら言った。

「明日は、低刺激回復薬を一本だけ作るかどうか確認する。場所はミミルの工房でいいが、受付嬢か職員を一人立ち会わせる」

「はい」

「保護材については、採取瓶用の試験だけ継続。薬瓶用としての話は、今は止める」

「はい」

「それと、薬師ギルド相手でも気を抜くな。善意であっても、要求は増える」

 善意であっても、要求は増える。

 重い。

 でも本当だ。

 俺は右へ揺れた。

 その日の午後、ミミルは工房へ戻り、明日の準備だけをした。

 低刺激回復薬用の器具を洗う。

 材料を確認する。

 自然に剥がれた殻片の箱を取り出す。

 俺はその箱を見て、少しだけ震えた。

 あれは俺の体の一部だ。

 もう本体から離れている。

 それでも、見ると変な気持ちになる。

 ミミルは箱を開ける前に、俺を見た。

「明日、本当に嫌だったら作らないからね」

 右。

 わかってる。

「今日は開けない。確認だけ」

 右。

 それがいい。

 ミミルは箱を開けずに、棚の奥へ戻した。

 その慎重さが嬉しい。

 夕方、ガルドが工房の前を通った。

 窓越しに声をかけてくる。

「薬師ギルドが来たんだってな」

 耳が早い。

 早すぎる。

 ミミルが扉を開けずに答える。

「話だけです」

「ならいい。あいつら、悪い奴らじゃねえが、必要だと思ったら遠慮なく頼んでくるぞ」

 また正論。

 ガルドは続ける。

「断れない奴から潰れる」

 その言葉は、俺の殻の奥に刺さった。

 断れない奴から潰れる。

 前世の俺すぎる。

 やめてくれ。

 異世界でまで刺さるな。

 ミミルは小さく頷いた。

「断る時は、断ります」

「本当かよ」

「……エッグと確認します」

 俺は右へ揺れた。

 そうしてください。

 ガルドは少し笑った。

「卵が上司みてえだな」

 やめろ。

 上司ではない。

 相棒だ。

 しかも前世で上司には良い思い出がない。

 ガルドはそれ以上は踏み込まず、片手を上げて去っていった。

 夜。

 ミミルは明日の依頼条件を、もう一度記録帳にまとめた。

『低刺激回復薬』

『初回一本だけ』

『明朝エッグ状態確認』

『自然脱落殻片のみ』

『製法非公開』

『補助材詳細非公開』

『ギルド職員立ち会い』

『薬師ギルドへ直接渡さない。冒険者ギルド経由』

『追加依頼は即答しない』

 いい。

 線が引けている。

 俺は右へ揺れた。

 ミミルは少し安心したように記録帳を閉じた。

「明日、怖いけど……一歩だけ進もう」

 右。

 一歩だけ。

 大きく進まない。

 走らない。

 転がりすぎない。

 俺たちらしく、小さく進む。

 俺はエッグ箱の中で、静かに震えた。

 新しい依頼。

 助けたい気持ち。

 広がる噂。

 増える不安。

 それでも、全部を拒んで閉じこもるわけにはいかない。

 割れないように。

 削られないように。

 でも、誰かの役に立てるなら。

 ほんの少しだけ。

 明日、俺たちは低刺激回復薬を一本作るかどうかを決める。

 その一本が、何を連れてくるのか。

 今の俺には、まだわからなかった。