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トップ / 目次 / 第七部 完全世界卵オルビス編

第134話 / 全149話

完全な殻

約5,454字

疼うずきが、収まらないうちに、光が、動いた。

 圧が、波のように、こちらへ、押し寄せてくる。

 空気そのものが、重さを、増していく。

 誰も、声を、掛け合わなかった。

 掛け合う間すら、なかった。

 それぞれが、それぞれの、得物を、構え、殻に、向き合った。

 レオンが、真っ先に、地を、蹴った。

「くらえ!」

 聖剣を、大きく、振りかぶる。

 白銀の刃が、オルビスの殻へ、叩きつけられた。

 弾かれた。

 保管領域で、レオンの刃が、火花すら立てずに滑り落ちた、あの弾かれ方と、同じかと、思った。

 違った。

 あの時は、ただ、滑り落ちただけだった。

 今度は、刃が、止まった、その瞬間に、押し返す力が、柄を通して、腕まで、駆け上がった。

「っ……!」

 レオンの体が、後ろへ、大きく、はじき飛ばされる。

 肩から、地に、転がった。

 右腕を、押さえながら、立ち上がる。

「……痺しびれて、握れねえ」

 剣は、まだ、手にあった。

 だが、指先が、思うように、動かないのが、殻越しにも、分かった。

 それでも、レオンは、もう一度、剣を、構え直した。

「もう一発、いくぞ」

 今度は、斬るのではなく、突く形で、切っ先を、突き入れた。

 聖剣の刃に、ひび状の光が、浮かぶ。

 だが、光は、殻の表面を、なぞるように、滑るだけで、どこにも、食い込む場所を、見つけられなかった。

「……引っ掛かる場所すら、無いのかよ」

 レオンが、舌打ちを、飲み込む。

 二度目の反動は、一度目より、軽かった。

 だが、それは、殻の側が、力を、抜いたようにさえ、見えた。

 まるで、初めから、脅威として、数えられていないような、軽さだった。

 その方が、レオンには、こたえたようだった。

 黒竜が、それより、先に、大きく、息を、吸い込む。

『……この距離なら』

 喉の奥から、黒い炎が、噴き上がった。

 あの日、俺を、灰にした炎と、同じ、色をしていた。

 あの時、この炎は、俺の殻ごと、世界の傷を、覆い尽くすほどに、広がった。

 炎は、オルビスの殻に、届いた瞬間、音もなく、散った。

 焦げ跡は、どこにも、残らない。

 煙すら、立たなかった。

 黒竜の体が、大きく、揺れる。

『ぐ……』

 脇腹の、古い傷の辺りを、翼で、庇うように、身を、縮めた。

 継いだはずの、傷だった。

 痛まないと、聞いていた。

 それでも、今、確かに、疼いている。

「黒竜さん!」

 ミミルの声に、黒竜は、低く、答えた。

『……大事、ない』

『押し返された、余波が……古傷に、まで、届いただけだ』

 その声に、隠しきれない、苦さが、滲にじんでいた。

『我の、炎ですら、この殻には……薪の一本にも、なれぬか』

 その呟つぶやきに、誰も、返す、言葉を、持たなかった。

 黒竜の瞳が、金色の光を、揺らめかせながら、オルビスを、見据える。

 牙を剥くでもなく、ただ、その大きさを、量るような、目だった。

 あの日、外縁で、何十何百の兵に、抗った目と、今、同じ光を、宿しているのが、殻越しにも、分かった。

 それでも、翼を、大きく、開いたまま、その場を、動かなかった。

 二度目を、吐く力が、残っていないことを、誰よりも、自分自身が、分かっているようだった。

 アリアが、感応針を、そっと、オルビスの殻へ、近づける。

 これまで、この針は、糸を、機構を、規格を――人の作ったものなら、何かしら、読み取ってきた。

 祈りを、返す先が、なくなった今でも、この針だけは、まだ、応えてくれると、信じていた。

 針先が、殻に、触れる。

 何も、返ってこなかった。

 震えも、反応も、揺らぎすら、ない。

「……何も、感じません」

 アリアの声が、掠かすれる。

「拒まれているのでも、ないんです。ただ……何も、ない」

 手が、小さく、震え出す。

 針を、握る、指先の感覚が、遠のいていくようだった。

 崩れかけた体を、レオンの、空いている方の腕が、支える。

「大丈夫か」

「……はい。少し、めまいが」

 そう答えた、アリアの顔から、血の気が、引いていた。

 あの草原で、祈る相手がいなくても、届く相手さえいればいいと、自分の力で、立ち上がったのは、つい、さっきのことだ。

 それなのに、今度は、届く相手すら、感じ取れなかった。

 拒まれるのとも、無視されるのとも、違う。

 最初から、応える器を、持っていない相手なのだと、指先の痺れが、教えていた。

「祈る先が、なくても……何かが、応えてくれると、思っていました」

 アリアが、震える声で、続けた。

「これは……応えないんじゃ、なくて。応える、仕組みそのものが、無いんです」

 その言葉が、なぜか、俺の殻の奥に、そのまま、沈み込んでいった。

 角兎つのうさぎが、低く、身を沈めたまま、駆け出す。

 白い殻の側面へ、体ごと、ぶつかっていった。

 鈍い音がして、跳ね返される。

 着地の瞬間、前脚が、変な方向へ、折れかけた。

 悲鳴一つ、上げずに、片脚を、庇いながら、後ろへ、下がる。

 毛の下の脚が、腫れ始めているのが、遠目にも、分かった。

 それでも、角兎の目は、まだ、オルビスの方から、逸れなかった。

 もう一度、跳びかかろうと、痛めた脚に、力を、込め直す。

「……無茶、するな」

 錆さびた剣が、俺の背で、低く、呟いた。

「お前の体当たりが、届かねえのは、力が、足りねえからじゃ、ねえ」

 角兎の耳が、ぴくりと、動く。

「受け止める側が、最初から、押されることを、知らねえだけだ」

 その声に、角兎は、それ以上、跳びかかろうとは、しなかった。

 代わりに、痛めた脚を、庇いながら、俺の傍らへ、戻ってくる。

 ミミルが、俺の籠を、抱いたまま、オルビスの縁へ、目を、凝らす。

 新しい保護材の、小さな壺を、外套の内側から、取り出した。

「……罅ひびの、縁に、塗るための、薬です」

「継いだ場所を、支える。それだけの、薬です」

 崩壊防止薬も、保護パテも、とうに、使い切っていた。

 残っているのは、この、半日で層が薄れる、心もとない薬だけだった。

 それでも、ミミルの手は、迷わなかった。

 工房の裏庭で、あの薬が、古い罅の拡大を、確かに、止めたのを、俺は、覚えている。

 材料は、いつでも、身近で、揃えられる。

 誰にでも、作れて、量産できる。

 その強さを、ミミルは、この場所でも、信じようとしていた。

 殻へ、近づけた、指先が、止まる。

 塗る先が、どこにも、なかった。

 縁が、ない。

 継ぎ目が、ない。

 支えるべき、罅そのものが、この殻には、一つも、なかった。

 壺の蓋ふたを、開けたまま、ミミルの手が、動かなくなる。

「……支える、場所が、なければ」

「この薬は、何も、できません」

 声が、自分に、言い聞かせるように、小さく、震えていた。

 その声に、俺は、自分と、同じものを、聞いた。

 俺は、殻の内側から、魔力腕まりょくわんを、伸ばした。

 濃縮した魔力の腕が、オルビスの殻の表面を、なぞる。

 継ぐための、感触を、探した。

 罅を。

 縁を。

 ひとつでも、崩れかけている、場所を。

 何も、なかった。

 どこまで、なぞっても、同じ、滑らかさが、続くだけだった。

 これまで、俺は、何度も、弾かれてきた。

 拒まれる痛みなら、知っていた。

 だが、これは、違う。

 拒まれてすら、いない。

 継ぐための、手がかりそのものが、最初から、存在しない。

 力の、置き場が、どこにも、なかった。

 殻継かくけいは、罅を、継ぐ、力だ。

 罅が、一本も、ない相手には――俺の力は、そもそも、始まる場所すら、持たない。

 これまで感じた、どんな無力さとも、違う種類の、無力さだった。

 弾かれる、痛みなら、耐えられる。

 だが、これは、差し出す先そのものが、消えている感覚だった。

 差し出そうとした手が、そのまま、宙に、浮き続けている。

 そんな、感覚だった。

 思えば、俺は、ずっと、罅を、探して、生きてきた。

 中枢炉の、管の継ぎ目。

 大地の、割れ目。

 黒竜の、傷。

 街の、壁。

 工房の、亀裂。

 どこにでも、罅は、あった。

 罅さえ、見つければ、そこへ、力を、伸ばせた。

 継ぐことが、俺にとっての、唯一の、戦い方だった。

 だが、傷ひとつない相手には――その、戦い方そのものが、成立しない。

 俺は、初めて、丸腰だった。

 武器を、失ったのとも、違う。

 武器の、意味そのものが、通じない、場所に、立っていた。

 その時、オルビスの圧が、一段、強く、なった。

 押し潰す力が、面ではなく、一点に、絞られていく。

 その先に、ミミルが、いた。

「っ……!」

 ミミルが、俺の籠を、抱いたまま、後ろへ、よろける。

 逃げる、間が、なかった。

 継ぐ場所が、どこにも、ないなら。

 俺自身の、殻を、差し出すしか、なかった。

 魔力腕を、ミミルごと、包み込むように、広げる。

 圧の全部を、受け止めることは、できない。

 それでも、半分でも、逃がせるなら。

 殻の奥から、軋きしむ音が、響いた。

 外の、誰の罅でもない。

 俺自身の、罅だった。

 これまで、俺が継いできたのは、いつも、俺の外にある、罅だった。

 今、初めて、俺は、自分の殻そのものを、支えの代わりに、差し出していた。

 熱とも、痛みとも、違う感覚が、殻の芯まで、突き抜ける。

 ミミルの腕の中で、俺の殻が、細かく、震えているのが、伝わったのだろう。

「エッグ……!」

 その声が、遠く、聞こえた。

 止めようとしても、もう、止められなかった。

 継ぐ場所が、外に、無いなら――俺自身が、罅に、なるしかなかった。

 視界の端で、罅の地図が、赤く、脈打つのが、見えた。

ひび割れ率40%→46%

 一気に、六つ、跳ね上がっていた。

 これまでで、最も、重い、上がり方だった。

 継ぐ場所を、持たない力が、行き着いた先は、結局、俺自身の、殻だった。

 圧が、緩んだのは、その、直後だった。

 弾かれるように、体ごと、後ろへ、飛ばされる。

 ミミルが、俺を、抱いたまま、床を、滑った。

 レオンとアリアが、折り重なるように、その脇へ、転がる。

 角兎が、痛めた脚を、引きずりながら、体勢を、立て直した。

 黒竜が、翼で、地を、叩いて、なんとか、踏みとどまる。

 誰も、すぐには、立ち上がれずに、いた。

 だが、誰も、消えては、いなかった。

 オルビスの殻の一点が、また、淡く、光った。

 問いかけては、こない。

 答えを、待っても、いない。

 ただ、事務的に、意味だけが、流れ込んでくる。

――欠陥は、修復されない。

――破棄される。

 それだけだった。

 俺たちの、誰かへ向けた、言葉じゃなかった。

 乞うても、恐れても、変わらない、ただの、工程の、一節だった。

 問いに、答えたのでは、なかった。

 こちらが、何をしようと、しまいと、定められた工程を、淡々と、読み上げているだけだった。

 オルビスの巨体が、また、少しだけ、古い核の方へ、身を、寄せる。

 窪みの縁が、軋んで、古い核が、さらに、押し退けられていった。

 止まって、いなかった。

 俺たちが、何をしようと、しまいと、この工程は、進み続けている。

 ミミルが、俺を、しっかりと、抱き直した。

「……立てます、か」

「私は、大丈夫です」

 声は、震えていたが、抱く腕の力は、弱まっていなかった。

 レオンが、痺れた右腕を、左手で、さすりながら、起き上がる。

「一発も、通らなかったな」

「……上等じゃねえか」

 その口の端に、笑みに、近い、何かが、浮かんでいた。

 アリアが、感応針を、握り直す。

「通らなかった、というだけです」

「終わった、わけでは、ありません」

 黒竜が、低く、唸うなった。

『……侮っていたわけでは、ない』

『それでも、これほどとは、思わなかった』

 錆びた剣が、俺の背で、掠れた声を、絞り出す。

「継ぐ場所すら、ねえって面かよ」

「……お前らしい、貧乏くじだな」

 だが、その声に、嘲りは、なかった。

 むしろ、どこか、労わるような、響きだった。

「適合を省略された俺と、判定から外された連中と、継ぐ場所を持たねえお前と」

「揃いも揃って、規格外だな、この一行は」

 レオンが、低く、笑った。

「悪かねえよ、その規格外ってやつは」

「規格の中に、収まる気なんざ、端から、ねえ」

 角兎が、痛めた脚のまま、俺の籠へ、鼻先を、寄せてきた。

 大丈夫か、と、確かめるような、仕草だった。

 俺は、右へ、揺れた。

 嘘では、なかった。

 何も、通らなかった。

 継ぐ場所すら、見つけられなかった。

 それでも、誰一人、砕けては、いなかった。

 ミミルが、帳面を、取り出そうとして、手が、震えているのに、気づき、そのまま、外套の内側へ、戻した。

「……今は、書けません」

「それでも、忘れません。今、ここで、起きたことは」

 その時、足元の床が、低く、揺れた。

 古い核の、罅という罅が、一斉に、軋み始めている。

 地鳴りのような、途方もない、律動だった。

 俺の殻の奥、罅の地図にも、同じ震えが、走る。

 地図の上、遠く離れた、いくつもの点が、ふっと、白く、色を、失った。

 一つ。

 また、一つ。

 まるで、そこに、初めから、何も、なかったかのように、点が、消えていく。

 場所を、示していたはずの、印だけが、跡形もなく、抜け落ちていった。

「……これは」

 アリアが、息を、呑む。

「地図が……消えて、いくんです」

 その声に、レオンが、聖剣の柄を、強く、握り直した。

「どこの、何が、消えてる」

 俺には、答えられなかった。

 消えたのが、何なのか、誰も、まだ、確かめようが、なかった。

 谷の方角にも。

 廃村のある、森の方角にも。

 街のある、あの遠い方角にも。

 世界樹の立つ、方角にも。

 同じ震えが、途切れることなく、伝わってくる。

 それでも、俺の殻は、確かに、感じていた。

 どこかで、誰かが、消されている。

 この、殻継ぐ力すら、届かない場所で。

 ミミルが、俺の籠を、震える腕で、強く、抱きしめる。

「みんな……無事だと、信じています」

 その声は、祈りにも、命令にも、聞こえた。

 俺は、右へ、揺れることさえ、できなかった。

 信じたいと、思う気持ちと、確かめられない不安の、両方が、殻の奥で、せめぎ合っていた。

オルビスとの、初めての正面衝突でした。今回は「何をしても通じない」を、キャラごとに全部違う通じなさで書きたかった回です。

継ぐ力そのものが立ち上がる場所を持たない、というエッグの無力さは、今までとは違う種類のものとして書きました。

次話では、地上のあちこちが本格的に脅かされていきます。