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トップ / 目次 / 第一部 廃棄卵編

第25話 / 全149話

代替素材の模索

約6,018字

 翌朝。

 工房の机の上には、昨日より多い紙が並んでいた。

 修理費の紙。

 割れ物保護材の試験記録。

 低刺激回復薬の提供条件。

 そして、新しく書かれた一枚。

『代替素材候補』

 その文字を見て、俺はエッグ箱の中で小さく震えた。

 代替素材。

 つまり、俺の殻片の代わりになるもの。

 それを探す。

 昨日、低刺激回復薬は一本だけ完成した。

 効果は弱め。

 だが、魔力刺激は少ない。

 試験提供向けとしては合格だった。

 ただし、自然に剥はがれた殻片はもうほとんど残っていない。

 次を作るには足りない。

 そして、俺を削って増やすことはしない。

 なら、別の素材を探すしかない。

 俺は自分だけに見える表示を確認した。

生命力3/3
魔力3/3
ひび割れ率42%
状態安定傾向を維持

 よし。

 今日も割れていない。

 それだけで十分偉い。

 いや、卵としては最低条件なのかもしれないが、今の俺には偉業である。

 ミミルは記録帳をめくりながら、俺の前にしゃがんだ。

「エッグ、今日は代わりの素材を探す相談に行こうと思う」

 右。

 それがいい。

「でも、エッグに無理して探してもらうんじゃないよ」

 右。

 そこ大事。

「まずは、ギルドの素材倉庫で少量だけ見せてもらう。使えるかどうかは、私と道具担当さんと鑑定士さんで確認する」

 右。

 いいと思う。

「エッグは、嫌な感じがしたら教えて」

 右。

 それくらいならできる。

 ただし、俺の《素材感知》は万能ではない。

 素材名も、正確な成分も、効果の理由もわからない。

 ただ、反応が近いとか、嫌な感じがするとか、その程度だ。

 そこを勘違いすると危ない。

 俺は小さく震えた。

 ミミルは首を傾げる。

「全部わかるわけじゃない?」

 右。

 そう。

「近いかどうかくらい?」

 少し迷って、右。

 たぶんそのくらい。

「じゃあ、エッグが右に揺れても、それだけで決めない」

 右。

 完璧。

「ちゃんと試験して、駄目なら駄目って書く」

 右。

 それがいい。

 ミミルは記録帳に追記した。

『エッグの反応は参考』

『決定ではない』

『必ず少量試験』

『飲用可否確認』

『刺激、濁り、泡立ち、沈殿を見る』

『駄目なら中止』

 いい。

 かなりいい。

 前世の俺なら、これを見て「リスク管理表かな?」と思っただろう。

 だが今回は必要だ。

 命と殻がかかっている。

 俺たちは保護対象の木札つき籠で、冒険者ギルドへ向かった。

 道中、相変わらず視線はある。

「低刺激の薬、薬師ギルドに渡ったらしいぞ」

「次はいつ売るんだ?」

「卵の殻がいるって本当か?」

 だから、そういう話をするな。

 俺は籠の中でじっとしていた。

 反応しない。

 揺れない。

 目立たない。

 卵の護身術である。

 ギルドに着くと、受付嬢がすぐに奥へ案内してくれた。

「薬師ギルドへの試験薬は、昨日の夕方に引き渡しました。使用結果はまだ戻っていません」

 ミミルが頷うなずく。

「はい」

「追加依頼については、こちらで止めています。まず結果待ちです」

 右。

 ありがたい。

 勝手に次の話が進んでいない。

 これだけでかなり安心する。

 受付嬢は続けた。

「代替素材の相談ですね。ギルド長から許可は出ています。素材倉庫で、少量の確認だけなら可能です」

「ありがとうございます」

 俺たちは素材倉庫へ向かった。

 素材倉庫は、道具管理室とはまた違う匂いがした。

 乾いた草。

 土。

 木箱。

 鉱石の粉。

 薬液。

 いろいろなものが混ざった、少し重い匂い。

 俺は籠の中で、わずかに震えた。

 素材が多い。

 反応も多い。

 意識を向けすぎると、頭が痛くなりそうだ。

 いや、頭はない。

 でも痛くなりそうな気配はある。

 ミミルがすぐに気づいた。

「エッグ、大丈夫?」

 少し迷って、右。

 大丈夫。

 ただ、長居はしたくない。

「すぐ終わらせるね」

 右。

 お願いします。

 倉庫の奥には、鑑定士とボルグさんがいた。

 ボルグさんは腕を組んで、俺たちを見る。

「今日は薬じゃなく、材料探しか」

「はい。エッグの殻片の代わりになるものを探したくて」

 ミミルはそう言ってから、すぐに付け足した。

「エッグから新しく取ることはしません」

「わかってる」

 ボルグさんは短く頷いた。

 鑑定士も静かに言った。

「ここで確認するのは、一般素材の性質だけです。エッグさんの詳細状態や身体由来素材の作用を調べるものではありません」

 右。

 それでお願いします。

 俺は籠の中で小さく揺れた。

 受付嬢が記録用紙を用意する。

「候補は、昨日ミミルさんが挙げていたものを中心にします。月露草、白貝殻粉、沈静石の粉、低刺激樹脂、乾燥水苔みずごけですね」

 ミミルは頷いた。

「はい」

 まず出されたのは、月露草だった。

 薄い青緑の葉。

 前にも採取したことがある。

 穏やかに傷を塞ぐ薬草らしい。

 ミミルは小皿に少しだけ置いた。

「これは昨日も少し使った素材です」

 俺は意識を向ける。

 ふわっと、冷たいような反応。

 嫌な感じはない。

 でも、俺の殻片に近いかと言われると、違う。

 柔らかい。

 弱い。

 薬液を落ち着かせるというより、刺激を薄める感じだ。

 ミミルが聞く。

「悪い感じはする?」

 左。

「少しは近い?」

 俺は迷った。

 近いと言えば近い。

 でも、これだけでは足りない。

 右に揺れると、ミミルが期待しすぎるかもしれない。

 左だと、完全に駄目だと思われるかもしれない。

 難しい。

 俺が揺れずにいると、ミミルは考え込んだ。

「単体だと違う?」

 右。

 それ。

「補助にはなるけど、代わりには足りない?」

 少し迷って、右。

 かなり近い。

 ミミルは記録した。

『月露草』

『刺激は弱い』

『単体では不足』

『補助候補』

 いい。

 次は白貝殻粉。

 割れ物保護材にも使った、白い細かな粉だ。

 薬用にも使えるものらしいが、飲み薬に入れる場合はかなり細かく処理しないとざらつくという。

 ミミルが粉を皿に出す。

 俺はすぐに、少し嫌なざらつきを感じた。

 痛いわけではない。

 でも、殻の内側がこすれるような気配がある。

 ミミルが聞く。

「これはどう?」

 左。

 即答。

「駄目?」

 右。

 駄目寄り。

「飲み薬には向かなそう?」

 右。

 ミミルは少し残念そうに頷いた。

 ボルグさんが横から言う。

「保護材には使えるが、飲ませる薬なら処理が甘いと喉に残る。粉っぽさも出る」

 鑑定士も続けた。

「魔力刺激というより、物理的な刺激が出る可能性がありますね」

 なるほど。

 刺激違い。

 低刺激回復薬に入れて喉がざらざらするのは、たぶん駄目だ。

 ミミルは書く。

『白貝殻粉』

『保護材向き』

『飲用薬にはざらつき』

『低刺激薬には不向き』

 次は沈静石の粉。

 灰色がかった細かい粉だ。

 名前からして、魔力を落ち着かせそうである。

 むしろ本命っぽい。

 ミミルも少し期待している顔をしていた。

「これは、魔力の揺れを抑える薬に少し使うことがあるそうです」

 俺は意識を向けた。

 次の瞬間、殻の内側がすっと冷えた。

 冷たい。

 静か。

 でも、静かすぎる。

 何かを落ち着かせるというより、押さえつける感じがある。

 ロイムの魔力拘束具ほど嫌ではない。

 だが、少し近い方向の圧を感じた。

 俺は思わず震えた。

 ミミルの顔が変わる。

「エッグ、嫌?」

 右。

 嫌。

「痛い?」

 左。

「怖い?」

 少し迷って、右。

 怖いというか、強い。

 ミミルはさらに確認する。

「効きすぎる感じ?」

 俺は一瞬止まった。

 それは近い。

 右。

 ミミルはすぐに皿を少し遠ざけた。

「じゃあ、これはやめる」

 右。

 やめたい。

 鑑定士は粉を見ながら言った。

「沈静石は、確かに魔力の揺れを抑えます。ただ、弱った人に使うには重すぎる場合があります。量を誤ると、回復反応そのものが鈍ります」

 回復反応そのものが鈍る。

 それは駄目だ。

 ミミルは記録に書いた。

『沈静石の粉』

『抑制力が強い』

『弱者向けには危険の可能性』

『今回は不採用』

 期待した本命が駄目だった。

 ミミルは少し肩を落とした。

 だが、すぐに次の素材を見る。

 低刺激樹脂。

 薄い琥珀こはく色の柔らかい塊だ。

 割れ物保護材にも少し使っているが、飲み薬に入れるものではないらしい。

 ミミルは言った。

「これは薬瓶の内側じゃなくて、外側の保護材に使えるかもと思って」

 ああ。

 飲む薬に混ぜるのではなく、容器の方。

 俺は少し安心した。

 樹脂からは、嫌な反応はない。

 ただ、薬液に混ざる感じもしない。

 外側の道具向きだ。

「薬の中に入れるのは?」

 左。

「保護材なら?」

 少し迷って、右。

 ミミルは頷く。

「やっぱり薬じゃなくて、保護材の方だね」

 ボルグさんも言う。

「こいつは瓶の外に使え。中に入れたら台無しだ」

 台無し。

 わかりやすい。

 ミミルは記録する。

『低刺激樹脂』

『飲用薬には不採用』

『割れ物保護材の改良候補』

『耐水性改善に使えるか要試験』

 お。

 耐水性改善。

 そっちにつながるのか。

 完全に無駄ではない。

 最後は乾燥水苔。

 淡い緑の、乾いた柔らかい苔こけだ。

 湿地で採れるらしく、薬液の刺激を和らげる補助材として使われることがあるという。

 ミミルは少量を皿に置いた。

 俺は意識を向ける。

 ふわりとした反応。

 月露草より少し鈍い。

 でも、白貝殻粉のようなざらつきはない。

 沈静石のような強すぎる抑制もない。

 ただ、少し湿った匂いが重い。

 保存が難しそうだ。

 ミミルが聞く。

「嫌な感じは?」

 左。

「近い?」

 俺は迷った。

 近い、というほどではない。

 でも、月露草と合わせれば何か起きるかもしれない。

 俺が揺れずにいると、ミミルは一つずつ確認した。

「単体だと弱い?」

 右。

「月露草と合わせたら、よさそう?」

 少し迷って、右。

 可能性はある。

「沈静石よりは安全そう?」

 右。

 それはかなり。

 鑑定士が乾燥水苔を見ながら言った。

「水苔は薬液を柔らかくします。ただし、保存状態が悪いと腐敗しやすい。試験するなら、少量だけにしてください」

 腐敗。

 嫌な言葉だ。

 腐りかけ卵候補を思い出すからやめてほしい。

 俺は少し震えた。

 ミミルがすぐに言う。

「保存状態の良いものだけ使います。少量で」

 右。

 それでお願いします。

 ミミルは記録した。

『乾燥水苔』

『刺激緩和の可能性』

『単体では弱い』

『月露草と併用候補』

『保存状態に注意』

『少量試験のみ』

 五つの素材を見終える頃には、俺は少し疲れていた。

 素材が多い場所にいるだけで、殻の中がざわつく。

 ミミルはそれに気づいたのか、すぐに籠を持ち上げた。

「エッグ、そろそろ出よう」

 右。

 出たい。

 かなり出たい。

 受付嬢も頷く。

「今日はここまでにしましょう」

 ボルグさんは記録を眺めながら言った。

「薬の代わりになりそうなのは、月露草と水苔か。保護材は樹脂で改良。貝殻粉は保護材用。沈静石は今回はやめろ」

 非常にわかりやすいまとめ。

 助かる。

 鑑定士も静かに付け加えた。

「低刺激回復薬として再現するなら、効果はさらに弱くなるでしょう。ですが、安全性を優先するなら、それも一つの方向です」

 効果はさらに弱くなる。

 でも安全性優先。

 昨日と同じだ。

 完璧な薬を目指すのではない。

 軽傷者向けに、刺激が少ない薬を目指す。

 ミミルは深く頷いた。

「まずは、月露草と乾燥水苔で試してみます。エッグの殻片は使いません」

 右。

 それがいい。

 工房に戻ると、ミミルはすぐに試験準備を始めた。

 ただし、薬を完成させるのではない。

 小皿での反応確認だけだ。

 飲む薬として扱う前の、さらに小さな試験。

 月露草の抽出液。

 乾燥水苔を通した水。

 低級薬草をほんの少し。

 そして、何も入れない基準液。

 ミミルは四つの小皿を並べた。

「今日は飲み薬にしない。混ぜた時の濁りと泡立ちだけ見る」

 右。

 それがいい。

「エッグは見てるだけでいい」

 右。

 ありがたい。

 ミミルはまず、低級薬草だけの液を作った。

 普通に濁る。

 泡立ちも少しある。

 次に、月露草を加えたもの。

 色は淡くなったが、泡立ちは少し減った。

 乾燥水苔を通した水を使ったもの。

 濁りは少ないが、匂いが少し重い。

 最後に、月露草と水苔を両方使ったもの。

 液はかなり薄い。

 効果も弱そうだ。

 だが、泡立ちは一番少なかった。

 ミミルの目が少し輝く。

「……これ、少し近いかも」

 俺は意識を向ける。

 殻片入りの低刺激回復薬とは違う。

 はっきり違う。

 でも、方向は似ている。

 刺激を弱める。

 薬液の乱れを小さくする。

 ただし、かなり弱い。

 そして、水苔の匂いが気になる。

 ミミルが聞く。

「エッグ、これ良さそう?」

 俺は迷った。

 良さそうと言えば良さそう。

 でも、問題もある。

 俺がすぐに右へ揺れないので、ミミルは自分で考え直した。

「完全に良いわけじゃない?」

 右。

「匂いが気になる?」

 少し迷って、右。

「効果、弱すぎる?」

 右。

「でも、方向は悪くない?」

 右。

 ミミルは大きく頷いた。

「方向は悪くない。でも、このままだと薬として弱い。匂いもある。保存も怖い」

 その通り。

 俺は右へ揺れた。

 ミミルは記録する。

『月露草+乾燥水苔』

『泡立ち少』

『刺激は低そう』

『効果弱い』

『匂いあり』

『保存性不安』

『改良必要』

 代替素材は見つかった。

 いや、見つかりかけた。

 だが、まだ完成ではない。

 エッグの殻片の代わりに、そのまま使えるものではない。

 弱い。

 臭い。

 保存が不安。

 問題だらけだ。

 でも、ゼロではない。

 それが今日の成果だった。

 夕方、受付嬢が工房へ様子を見に来た。

 ミミルは試験皿と記録を見せる。

「エッグの殻片は使っていません。月露草と乾燥水苔で、泡立ちが少ないものができました」

 受付嬢は記録を確認し、ほっとしたように頷いた。

「代替素材の試験として記録できますね。ただし、薬としての提供はまだ不可です」

「はい。まだ出せません」

「薬師ギルドへの返答は、代替素材を試験中。追加提供は未定。これで止めます」

 右。

 それでいい。

 受付嬢は続けた。

「それと、今日の問い合わせで、低刺激回復薬の結果報告は明日以降になるそうです。急がないよう、こちらからも伝えています」

 ありがたい。

 本当にありがたい。

 急かされないだけで、かなり楽になる。

 夜。

 ミミルは机の上を片づけながら、少し疲れた顔をしていた。

「代わりって、簡単じゃないね」

 右。

 簡単ではない。

「でも、何もないわけじゃなかった」

 右。

 それは大きい。

「エッグを削らなくても、近づけるかもしれない」

 右。

 かもしれない。

 まだ遠い。

 でも、方向は見えた。

 俺はエッグ箱の中でステータスを確認した。

生命力3/3
魔力3/3
ひび割れ率42%
状態安定傾向を維持
《素材感知 Lv1》の熟練度が上昇しました。
《魔力安定・未獲得》への適性を維持しています。

 素材感知の熟練度が上がった。

 そりゃそうだ。

 今日は素材まみれだった。

 ただ、ひび割れ率は上がっていない。

 それが一番いい。

 ミミルは記録帳の最後に、明日の予定を書いた。

『月露草+乾燥水苔』

『匂い対策』

『保存性確認』

『効果不足の改善』

『少量試験』

『焦らない』

 焦らない。

 良い言葉だ。

 前世の俺にも教えてやりたい。

 まあ、もう遅いが。

 ミミルは布団に入る前に、俺の箱の前で小さく言った。

「明日は、失敗してもいいから試してみよう」

 右。

 失敗してもいい。

 むしろ、たぶん失敗する。

 でも、失敗しても俺は削られない。

 ミミルも無理をしない。

 それなら、再挑戦できる。

 代替素材の道は、まだ細い。

 頼りない。

 でも、確かにそこにある。

 俺は静かに震えを止めた。

 割れないように。

 削られないように。

 少しずつ、俺たちなりの薬へ近づくために。