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トップ / 目次 / 第三部 追跡者と魔物の森編

第57話 / 全149話

守るための腕

約3,283字

近づいてくる。

 空の魔力とは違う。

 細い。

 しつこい。

 殻の古い傷へ。

 針を差し込まれているような熱。

 知っている。

 あの捕獲具に触れたときと。

 似ていた。

 俺は。

 ミミルの腕の中で震えた。

「エッグ?」

 右。

 森の外。

 もう一度。

 右。

 来る。

 何かが。

 ミミルの顔が強張った。

「追手、ですか」

 分からない。

 俺は動かなかった。

 白い面の連中か。

 街から来た誰かか。

 それとも。

 地上から。

 重い音がした。

 どん。

 どん。

 嵐で落ちた枝を。

 踏み砕く音。

 地下蔵の中で。

 ゴブリンたちが身を寄せた。

 小さなゴブリンが。

 俺のゆりかごから手を離す。

「きた」

 その声は。

 震えていた。

「また、きた」

 また。

 ミミルが膝をついた。

「知っている相手ですか?」

 小さなゴブリンが頷うなずく。

「つよい、やつ」

「何をしに来るんですか」

「つれてく」

 短い指が。

 自分の首を掴んだ。

「はこぶ。ほる。きる。にげると、たたく」

 労働力。

 便利な言葉だ。

 連れていかれる側には。

 何一つ便利ではない。

 扉の向こうで。

 何かが地面を叩いた。

「出てこい!」

 太い声。

「嵐は終わった! 隠れても匂いで分かるぞ!」

 ゴブリンの子供が縮こまる。

 奥では。

 負傷した一匹が。

 立とうとして。

 壁へ手をついた。

 まだ歩けない。

 昨日。

 鎧猪にやられた傷だ。

 戦える者も。

 多くない。

 戦える卵は。

 もっといない。

「エッグ」

 ミミルが。

 俺を抱き直した。

「地下蔵には、森へ抜ける穴があります」

 奥を見る。

 崩れた棚の向こう。

 風が入っている。

「今なら逃げられます」

 正しい。

 俺たちは追われている。

 ここに残れば。

 白い面の連中まで来るかもしれない。

 殻には。

 空の嵐でできたひび。

 補修薬も効かない。

 体当たりをすれば。

 たぶん。

 砕ける。

「皆さんも、動ける方から逃げてください」

 ミミルが呼びかける。

 だが。

 ゴブリンたちは動かなかった。

 負傷者を見る。

 子供を見る。

 スライムを見る。

 逃げ道は狭い。

 全員が抜けるまで。

 時間がかかる。

 外の何かが。

 扉を蹴った。

 土が落ちる。

「三つ数える!」

 金属が擦れた。

「出なければ、穴ごと潰す!」

 ミミルの腕に力が入った。

「エッグ」

 小さな声。

「私たちだけでも、逃げますか?」

 逃げる。

 生きるために。

 それが。

 森へ来た理由だ。

 ここは。

 俺の工房ではない。

 俺の街でもない。

 昨日着いたばかりの。

 知らない廃村だ。

 だから。

 逃げてもいい。

 そう思った。

 俺は。

 左へ震えた。

 一度。

 ミミルが息を止める。

「……残るんですか?」

 外から。

 一。

 声が響く。

 俺は。

 左へ震えた。

 二度目。

 逃げない。

「二!」

 角のある兎が。

 俺の前へ跳んできた。

 前足を上げる。

 構える。

 細い。

 小さい。

 どう見ても。

 棍棒を止められる前足ではない。

 俺も同じだ。

 足すらない。

 だが。

 昨日。

 こいつらは俺を卵様と呼んだ。

 今日。

 俺の震えを信じて。

 地下へ逃げた。

 誰も欠けなかった。

 それなら。

 ここはもう。

 知らない場所ではない。

「三!」

 扉が。

 内側へ弾けた。

 光が差す。

 入口を塞いだのは。

 大きなゴブリンだった。

 俺の知っているゴブリンより。

 二回りは大きい。

 革を重ねた鎧。

 鉄輪を巻いた棍棒。

 腰には。

 縄の束。

 首から下げた黒い石が。

 赤く光っている。

 殻の古い傷が。

 熱を返した。

 こいつだ。

 俺を探していた反応。

 白い面ではない。

 だが。

 あの石は。

 壊れた捕獲具と。

 似た魔力を放っていた。

「卵?」

 武装したゴブリンが。

 黄色い目を細めた。

「妙な匂いは、お前か」

 棍棒が持ち上がる。

「売れそうだ」

 はい。

 敵。

 確定。

「触れないでください」

 ミミルが。

 俺を背中へ庇った。

 片手には薬瓶。

 青い液体。

 目潰しか。

 煙か。

 どちらにしても。

 相手は笑った。

「人間の娘もいるのか。ちょうどいい。薬を作れるなら高く売れる」

 棍棒が振られた。

 速い。

 ミミルが薬瓶を投げる。

 青い煙が弾けた。

 相手は腕で顔を覆う。

 止まらない。

 棍棒が。

 煙を割った。

 ミミルへ。

 俺は。

 腕の中から転がり落ちた。

「エッグ!」

 床へ。

 棍棒の前へ。

 体当たり。

 無理だ。

 割れる。

 分かっている。

 それでも。

 殻のひびが。

 熱くなった。

 腐毒ふどくを出せ。

 いつものように。

 そう念じた。

 出なかった。

 代わりに。

 ひびの奥から。

 青白い光が溢れた。

 嵐で満ちた魔力。

 吸い込んだ覚えはない。

 それでも。

 殻の内側に。

 濃く。

 重く。

 溜まっていた。

 光が伸びる。

 細い。

 歪んでいる。

 指もない。

 腕と呼ぶには。

 未完成すぎる。

 だが。

 棍棒へ届いた。

 青白い魔力が。

 鉄輪を掴む。

 轟音。

 床が割れた。

 俺の殻にも。

 新しい線が走った。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 だが。

 砕けていない。

 棍棒が。

 止まっている。

「なんだ、これは……!」

 武装ゴブリンが。

 両腕で棍棒を押し込む。

 魔力の腕が軋きしむ。

 薄くなる。

 俺一個分も。

 持ち上げられそうにない腕。

 それでも。

 ミミルへ届く棍棒を。

 止めている。

「今です!」

 ミミルが叫んだ。

 角のある兎が跳ぶ。

 相手の顔へ。

 後ろ足が。

 鼻を蹴った。

「ぐっ!」

 小さなゴブリンが。

 床の石を投げる。

 一つ。

 弱い。

 別のゴブリンも投げた。

 二つ。

 小鳥たちが飛びかかる。

 目を狙う。

 スライムが。

 足へ絡みつく。

 負傷したゴブリンが。

 壁に寄りかかったまま。

 木の棒を振った。

 脛に当たる。

 一つ一つは。

 弱い。

 俺も弱い。

 全員。

 弱い。

 だから。

 全員でやる。

「離せ!」

 武装ゴブリンが棍棒を引いた。

 魔力の腕が。

 引かれる。

 俺の体も。

 床を滑った。

 扉の外へ。

 まずい。

 持っていかれる。

「エッグ!」

 ミミルが。

 俺のゆりかごの布を掴んだ。

 引く。

 小さなゴブリンも掴む。

 角のある兎が。

 俺の後ろへ体を入れる。

 さらに。

 何匹もの手が伸びた。

 俺を。

 物として奪う腕ではない。

 ここへ。

 残すための手。

 俺の魔力が。

 ひびから噴き出した。

 細かった腕が。

 一瞬だけ太くなる。

 掴んだ棍棒を。

 押し返す。

「お、おおっ!?」

 武装ゴブリンがよろめいた。

 足に絡んだスライムを踏み。

 滑る。

 尻から地面へ落ちた。

 棍棒が。

 手を離れた。

 角のある兎が。

 それを蹴った。

 棍棒は。

 斜面を転がり。

 嵐で増水した泥水へ落ちた。

 ごぼん。

 武装ゴブリンが。

 泥水と。

 俺たちを見比べた。

 小鳥が威嚇いかくする。

 ゴブリンたちが石を構える。

 ミミルは。

 新しい薬瓶の栓を抜いた。

 俺は。

 青白い腕を持ち上げた。

 震えている。

 今にも消えそうだ。

 それでも。

 相手には。

 そう見えなかったらしい。

「覚えてろ!」

 立ち上がる。

 腰の縄を押さえ。

 森へ走った。

 途中で。

 泥に足を取られた。

 転んだ。

 もう一度立ち上がり。

 今度こそ見えなくなった。

 静かになった。

 俺の魔力の腕が。

 崩れた。

 青白い粒になって。

 ひびへ戻る。

 残った魔力は。

 ほとんどない。

 殻の新しい亀裂から。

 細い音がした。

 まずい。

 調子に乗った。

 すごく痛い。

 俺は。

 その場で動けなくなった。

「エッグ!」

 ミミルが駆け寄る。

 両手で。

 俺をそっと包んだ。

「どうして……」

 声が震えている。

「逃げられたのに」

 俺は。

 右へ揺れようとした。

 動けない。

 代わりに。

 ひびの奥で。

 光が一度だけ瞬いた。

 小さなゴブリンが。

 俺の殻へ触れる。

「たまさま」

 別の手も。

 その隣にも。

 スライムが寄る。

 小鳥が。

 ゆりかごの縁へ止まる。

 角のある兎が。

 胸を張った。

 俺が一匹で。

 守ったわけではない。

 こいつらも。

 俺を守った。

 ここにいる全員で。

 追い払った。

 ミミルが。

 俺の殻を調べる。

 ひびへは触れず。

 その周りへ。

 補修布を巻いた。

「次からは、先に相談してください」

 無茶を言う。

 棍棒は。

 相談が終わるまで待ってくれない。

「でも」

 ミミルの指が。

 新しいひびの上で止まった。

「守りたかったんですね」

 俺は。

 今度こそ。

 右へ震えた。

 ここを。

 こいつらを。

 守りたかった。

 その意思に応えるように。

 俺にだけ見える文字が。

 薄暗い地下蔵へ浮かんだ。

通常スキル
《魔力腕 Lv1》

 腕。

 俺に。

 腕ができた。

 未完成で。

 形も悪くて。

 一度使えば動けなくなる。

 使い勝手は。

 終わっている。

 それでも。

 守るための腕だ。

 悪くない。

 小さなゴブリンが。

 俺を抱えようとして。

 ミミルに止められた。

「今は安静です」

「たまさま、まもった」

「はい」

 ミミルが。

 俺をゆりかごへ戻す。

「皆さんで、守ったんです」

 地下蔵の外には。

 嵐の跡が残っている。

 武装ゴブリンも。

 また来るかもしれない。

 白い面の追手も。

 近づいている。

 ここは。

 安全ではない。

 だからこそ。

 俺は。

 もう一度。

 右へ揺れた。

 ここにいる。

 今は。

 ここを守る。

弱い者たちが力を重ね、ようやく一本の腕になりました。

エッグにとって「逃げない」が、生存以外の意味を持ち始めます。