トップ / 目次 / 第三部 追跡者と魔物の森編
第63話 / 全149話
魔王の卵と呼ばれて
聖剣が鳴った。
集落の入口で。
白銀の鞘から。
ひび割れるような音がした。
俺の殻も。
同じ音で震えた。
……何だ。
四本の魔力腕を地面へ突く。
ミミルの前。
角兎の前。
集落の入口を塞ぐ位置。
森の奥から。
一人の男が歩いてくる。
金属鎧。
白い外套。
腰には、鳴っている剣。
どう見ても。
強い。
とても強い。
武装ゴブリンとは違う。
白い面の追跡者とも違う。
立っているだけで。
こちらの逃げ道が減ったように感じる。
男が足を止めた。
俺を見る。
四本の腕。
ひび割れた殻。
殻の隙間に残る、腐毒の濁り。
うん。
怪しい。
自分でも分かる。
男の手が。
剣の柄へ触れた。
「あなたが、ミミルか」
先に口を開いたのは。
男だった。
ミミルが俺の横へ出ようとする。
俺は腕を一本伸ばした。
止める。
「大丈夫です、エッグ」
大丈夫ではない。
あの剣。
絶対に大丈夫ではない。
ミミルは。
それでも俺の腕へ手を添えた。
「はい。私がミミルです」
「勇者レオンだ」
勇者。
終わった。
ただの騎士ですらない。
勇者。
俺は魔王ではない。
卵だ。
少し腕が生えて。
毒を持っていて。
一度砕けても戻ってきただけの卵だ。
……並べると。
かなり魔王寄りだった。
「教会の命令で来た」
レオンが。
懐から羊皮紙を出した。
「腐毒を蓄え、破壊されるたびに形態を変える災害卵。魔王孵化前の危険個体として、討伐命令が出ている」
魔王。
ついに卵ですらなくなった。
「違います」
ミミルが即座に言った。
「エッグは災害ではありません」
「腐毒を持っていることは」
「事実です」
「破壊された後、別の姿で現れたことは」
「事実です」
「その腕で人を襲ったことは」
「ありません」
レオンの視線が。
俺の腕へ落ちる。
一本はミミルを止め。
残りの三本は集落を塞いでいる。
「報告では、商会の捕獲部隊を攻撃したとある」
「捕獲部隊です」
ミミルの声が。
硬くなった。
「彼らはエッグを物として奪おうとしました。殻を素材として回収するために」
「教会の記録には、保護対象の移送とある」
「箱へ押し込んで、意思を無視することが保護ですか」
レオンは答えなかった。
代わりに。
集落を見る。
崩れた家。
補修された屋根。
干された薬草。
水桶を運ぶ小さなゴブリン。
物陰から。
スライムが半分だけ顔を出している。
角兎は。
俺の後ろで身を低くしていた。
「魔物の集落だとは聞いていた」
レオンが呟く。
「ですが、災害卵に支配された集落ではありません」
ミミルが言った。
「ここにいる皆さんは、エッグの仲間です」
「仲間」
「エッグは、この集落を守りました。毒が漏れた時は自分で中和槽へ入りました。襲撃者が来た時も、住民を逃がすために戦いました」
「それを、卵が決めたと?」
「はい」
「あなたの命令ではなく」
「私は止めました」
あ。
それは。
言わなくてもよかったのでは。
「止めても、エッグは残りました」
レオンが。
俺を見る。
「本人に聞きたい」
無理です。
喋れません。
俺は腕を少し持ち上げた。
レオンの手が。
剣の柄を握る。
ミミルが間へ入った。
「攻撃ではありません」
「では、何だ」
「エッグは言葉を話せません。腕の動きや振動で答えます」
「あなたにしか分からないのではないか」
その問いに。
ミミルが黙る。
痛いところだった。
角兎には。
何となく伝わる。
けれど。
なぜ伝わるのかは分からない。
他の皆も。
俺の動きを見慣れているだけだ。
「合図を決めれば、レオンさんにも確認できます」
「合図」
「右へ傾けば、はい。左なら、いいえ」
レオンは。
俺の正面へ立った。
近い。
剣も近い。
鞘の中から。
また音がする。
俺のひびが熱を持った。
痛くはない。
けれど。
気持ちが悪い。
「お前に意思があるなら、答えてくれ」
レオンが言った。
「この集落を離れるつもりはあるか」
質問が広い。
いつか散歩するかもしれない。
水を汲みに行くかもしれない。
俺は動かなかった。
「聞き方を変えます」
ミミルが口を挟む。
「人里を襲うつもりはありますか」
左。
俺は大きく傾いた。
「ない、か」
レオンの目が細くなる。
「腐毒を人へ使うつもりは」
左。
「命を奪うために、その腕を使ったことは」
左。
「自分を捕らえようとした者にも?」
少し迷う。
殴った。
吹き飛ばした。
でも。
殺してはいない。
左。
レオンは。
羊皮紙へ目を落とした。
「報告と違う」
「報告には、エッグが助けた者のことは書かれていましたか」
「いや」
「毒を中和したことは」
「ない」
「この集落に来てから、誰かを傷つけたと?」
「武装したゴブリンへ攻撃したとある」
「彼らは集落を襲っていました」
レオンが。
奥にいる住民を見る。
腕に包帯を巻いたゴブリン。
欠けた器を抱えたコボルト。
俺の殻を補修した、小さな手。
討伐されるべき魔物。
人間から見れば。
きっと、そうなる。
けれど。
ここでは。
水を運ぶ者で。
屋根を直す者で。
怪我をした仲間へ薬を塗る者だ。
「なぜ、教会はそれを書かなかった」
レオンの声が。
低くなる。
ミミルは答えない。
俺にも分からない。
ただ。
白い面は。
最初から。
俺を見ていなかった。
見ていたのは。
反応と。
数値と。
使えるかどうかだけだった。
茂みの奥で。
白いものが動いた。
俺の魔力腕が。
地面を叩く。
「エッグ?」
ミミルが振り向く。
いる。
木々の隙間。
白い面。
レオンの後ろから。
ここを見ている。
「同行者ではありません」
ミミルの言葉に。
レオンが振り返った。
「何?」
白い面は。
隠れなかった。
「確認に時間を使いすぎています」
「待て」
レオンの声が飛ぶ。
「お前には、観測だけを命じたはずだ」
「災害発生の阻止を優先します」
白い面が。
杖を地面へ突いた。
違う。
杖ではない。
杭だ。
以前。
俺の魔力を追ってきたものと同じ。
ただし。
先端に刻まれた溝が。
赤く光っている。
「離れて!」
ミミルが叫んだ。
地面の下から。
音がした。
一本。
二本。
三本。
集落の周囲に。
埋められていた杭が起き上がる。
いつ。
どこから。
考える暇はなかった。
杭同士を結ぶ光が。
集落を囲んだ。
俺の殻が。
強く引かれる。
腐毒が沸く。
四本の腕が。
勝手に膨らんだ。
まずい。
止まれ。
止まれ。
「エッグ、私を見てください!」
ミミルの声。
腕を地面へ叩きつける。
動かすな。
耐えろ。
俺の後ろで。
角兎が鳴いた。
苦しそうな声。
振り返る。
角が。
赤く染まっている。
目が濁る。
牙を剥き。
隣のコボルトへ飛びかかった。
ゴブリンが頭を抱える。
コボルトが吠える。
スライムの体が。
黒く泡立った。
「魔物が狂化している……!」
レオンが剣を抜いた。
白銀の光。
俺のひびが。
焼けるように鳴った。
違う。
俺ではない。
杭だ。
あれを壊さないと。
腕を伸ばす。
杭へ。
けれど。
引きずられた腐毒が。
腕の表面を走る。
黒い腕が。
狂った角兎の頭上を通った。
レオンには。
どう見えた。
俺から溢れた力が。
集落の魔物を狂わせ。
その腕が。
住民へ伸びたように。
「止まれ!」
聖剣が俺へ向く。
ミミルが。
両腕を広げて間へ立った。
「エッグではありません! 杭です!」
「退け!」
「退きません!」
杭の光が強くなる。
角兎が。
ミミルの背へ飛ぶ。
俺は腕を曲げた。
杭を壊す腕を戻す。
ミミルを包む。
角兎を受け止める。
爪が魔力腕へ食い込んだ。
痛い。
でも。
こいつも悪くない。
狂わされているだけだ。
レオンが。
俺を見た。
剣を構えたまま。
「最後に答えろ」
光の音の中で。
声が届く。
「お前は、自分が助かりたいか」
右へ傾く。
当然だ。
死にたくない。
「では、この場から逃げるか」
ミミルを見る。
住民を見る。
狂った仲間同士が。
傷つけ合おうとしている。
左。
俺は傾いた。
「なぜだ」
答えられない。
だから。
腕を動かした。
一本をミミルへ。
一本を角兎へ。
一本をゴブリンたちへ。
最後の一本を。
光る杭へ。
レオンの目が。
わずかに揺れた。
「自分より、この者たちを?」
右。
強く。
右へ傾く。
その瞬間。
白い面が。
杭を握り込んだ。
「魔王性反応、拡大」
赤い光が弾けた。
狂化した魔物たちが。
一斉に叫ぶ。
俺の腐毒が。
杭へ吸われ。
地面を通り。
集落全体へ噴き上がった。
「エッグ!」
ミミルの声。
俺は腕を広げる。
皆を囲う。
だが。
レオンの位置からは。
黒い腕が集落を覆い。
魔物たちを従わせようとしているようにしか。
見えなかった。
「……これが」
レオンの剣に。
白い光が集まる。
「教会の言った、災害か」
違う。
左へ傾こうとする。
杭が殻を引く。
動けない。
違う。
俺ではない。
白い面を見ろ。
杭を見ろ。
何度も殻を震わせる。
けれど。
狂った咆哮に。
小さな振動は消えた。
聖剣の刃へ。
ひびの形をした光が走る。
俺の殻のひびも。
同じ形で。
白く燃えた。
言葉を持たないエッグの意思が、勇者へ届きかけました。
しかし、仕組まれた災害が二人の判断を引き裂きます。