トップ / 目次 / 第三部 追跡者と魔物の森編
第65話 / 全149話
割れる卵、折れる正義
俺は四本の腕を。
天井へ伸ばした。
触れた瞬間。
全部の腕が沈んだ。
重い。
腕が曲がる。
地面へ押し戻される。
廃屋の柱が折れた。
土壁が崩れる。
その下で。
小さな影が震えていた。
スライム。
角兎。
羽の欠けた鳥。
戦えない魔物たち。
俺の腕の下に。
皆がいる。
なら。
落とせない。
一本目の腕を。
太くする。
二本目を広げる。
三本目で崩れた屋根を支える。
四本目でミミルを囲う。
ひび割れ率:53%
まだ。
いける。
「エッグ、無理です!」
ミミルが殻へ両手を当てる。
「このままでは、殻が先に――」
分かってる。
でも。
退けば。
皆が潰れる。
俺は動かなかった。
腕の先が。
透明な天井へ食い込む。
紫黒の魔力と。
白い光がぶつかった。
じゅう。
焼ける音がした。
腕の表面が削れる。
削れた魔力が。
光の中へ吸われていく。
「術式の中心を探す!」
レオンが走った。
聖剣を地面へ突き立てる。
白い光が土の下を走った。
集落を囲む線へ触れ。
弾かれる。
「外周ではない」
レオンが歯を食いしばる。
「なら、核はどこだ!」
「封印対象です」
白い面が答えた。
平らな声。
まるで。
最初から知っていたみたいに。
「対象の存在を基点として、結界は閉鎖されています」
レオンが。
俺を見る。
聖剣も。
俺を向いた。
刃が鳴る。
高い音。
殻のひびが。
同じ音で震えた。
白銀の刃に。
細い光が走る。
俺の殻と同じ。
ひびの形。
「……何だ、これは」
レオンの手が止まる。
「なぜ聖剣が、この卵と呼応する」
「不要な観測です」
「答えろ!」
「封印対象を消滅させれば、結界は解除されます」
天井が。
また落ちた。
一本目の腕が折れる。
魔力だから。
骨はない。
痛みも。
ないはずなのに。
痛い。
ひび割れ率:61%
地面が沈む。
角兎が。
俺の下から飛び出そうとした。
来るな。
残った腕で押し戻す。
逃げろ。
いや。
逃げる場所がない。
全部。
俺の下だ。
「ふざけるな」
レオンが聖剣を引き抜いた。
「一体を殺せば、他は助かる。そんなものを正義とは呼ばない」
「勇者の役割は選別です」
「違う」
「災害を討ち、人を守る。そのために剣を与えられた」
「ここにいる者を殺す剣なら――」
レオンが。
聖剣を投げ捨てようとした。
やめろ。
俺は腕を伸ばした。
レオンの手首を掴む。
「なっ」
捨てるな。
それがないと。
皆が死ぬ。
レオンが腕を振り払おうとする。
「放せ!」
放さない。
「お前を斬れば、結界が消える! 分かっているのか!」
分かってる。
「お前は死ぬんだぞ!」
分かってる。
俺は。
死んだことがある。
暗くなって。
なくして。
戻って。
でも。
次も戻れるかは。
知らない。
殻片が残るかも。
分からない。
今度こそ。
本当に終わるかもしれない。
怖い。
腕が震える。
聖剣を掴む腕が。
震えている。
死にたくない。
俺は。
生きたい。
ミミルと。
また薬草を探したい。
皆と。
壊れた屋根を直したい。
角兎が掘った穴に落ちて。
内心で文句を言いたい。
まだ。
何も終わってない。
だから。
死にたくない。
天井が下がる。
二本目の腕が潰れた。
広げていた魔力が裂ける。
小さな魔物たちが。
一斉に悲鳴を上げた。
ひび割れ率:72%
ミミルが。
俺を抱いた。
「エッグ」
声が震えていた。
「やめてください」
俺の腕は。
レオンの手首を離さない。
「今度は、戻れる保証がありません」
そうだ。
「記憶だって、また失うかもしれません」
そうだ。
「私のことも」
嫌だ。
それは。
嫌だ。
忘れたくない。
俺を拾った手。
廃棄するなと怒った声。
初めて名前を呼ばれた時。
忘れたあと。
もう一度。
俺を待ってくれたこと。
全部。
殻の中に残したい。
「それでも」
ミミルの指が。
ひびへ触れた。
「守りたいんですか?」
俺は。
一度だけ。
震えた。
右でも。
左でもない。
前に決めた。
新しい合図。
俺の中の。
一番深いところを伝えるための。
たった一度の震え。
守りたい。
ミミルの目から。
涙が落ちた。
殻へ触れる。
温かい。
「……分かりました」
分からないでくれ。
止めてくれ。
そんなことも。
少しだけ思った。
でも。
ミミルは俺を抱きしめたまま。
手を離した。
「あなたが、選んだんですね」
俺は。
レオンの剣を引いた。
白銀の切っ先が。
殻へ近づく。
「やめろ!」
レオンが逆らう。
強い。
人間の腕には勝てない。
だから。
四本全部を使う。
潰れた腕も。
千切れた腕も。
魔力を繋ぎ直す。
一本で剣を引く。
一本で柄を押す。
残り二本は。
皆の上に広げたまま。
最後まで。
誰も潰させない。
「俺は斬らない!」
レオンが叫ぶ。
「こんなものが、勇者の剣であるものか!」
聖剣が。
また鳴った。
殻のひびが。
白く光る。
剣のひびと。
俺のひび。
二つの光が。
繋がった。
その瞬間。
胸の奥に。
何かが流れ込んだ。
冷たい。
眩しい。
遠い。
祈りみたいな。
命令みたいな。
俺を壊すための力。
なのに。
知っている気がした。
ひび割れ率:86%
殻の一部が。
小さく浮いた。
自然に剥がれかけていた殻片。
昨日。
残そうとしたもの。
過去じゃない。
今の俺が選んだ気持ち。
魔力の線が。
殻片の表面へ刻まれていく。
守りたい。
言葉は書かれていない。
でも。
同じ震えが残っている。
ミミルが。
それを両手で受け止めた。
「エッグ……」
よし。
残った。
次の俺が。
俺じゃなくなっても。
これだけは。
渡せる。
天井が。
もう一段。
落ちる。
三本目の腕が砕けた。
廃屋が潰れる。
泣き声が近い。
時間がない。
俺は残った腕へ。
全部の魔力を流した。
聖剣の刃を。
一番大きなひびへ導く。
レオンの顔が。
歪んだ。
「頼む」
誰に言ったのか。
分からなかった。
「俺に、こんなことをさせるな」
ごめん。
でも。
あんたしか。
できない。
剣を捨てなかった。
皆を見捨てなかった。
だから。
頼む。
白い面が。
何かを告げている。
聞こえない。
ミミルが。
俺の名前を呼んでいる。
聞こえる。
それだけでいい。
聖剣が。
ひびへ触れた。
痛い。
今までで。
一番。
痛い。
ひび割れ率:94%
刃が入る。
白い光が。
殻の中を満たす。
魔力が焼ける。
生命が削れる。
四本目の腕が。
薄くなる。
消えるな。
まだ。
皆の上に。
残れ。
ひび割れ率:98%
ミミルの顔が。
見えなくなる。
違う。
見えないんじゃない。
光が。
眩しすぎる。
「エッグ!」
いる。
ここにいる。
まだ。
俺は。
最後の腕を広げた。
ミミルも。
角兎も。
スライムも。
小さな魔物も。
レオンも。
まとめて。
光の下から庇った。
ひび割れ率:99%
ああ。
怖い。
怖いけど。
後悔は。
していない。
ひび割れ率:100%
ぱきり。
殻が。
割れた。
白い光が。
俺を貫いた。
四本の腕は。
砕ける瞬間まで。
皆の上に残っていた。
そして。
俺の殻が散った瞬間。
空を塞いでいた透明な天井も。
音もなく。
消えた。
重さがなくなる。
折れた木々の隙間から。
空が見えた。
青い。
俺にはもう。
見えなかったけど。
たぶん。
青かった。
◇
白銀の剣が。
地面へ落ちた。
レオンは。
動けなかった。
剣を握っていた手が。
震えている。
足元には。
砕けた殻。
ついさっきまで。
自分の剣を掴み。
刃を自らへ導いた存在。
災害。
討伐対象。
封印対象。
教会は。
そう呼んだ。
だが。
集落の魔物たちは。
誰一人。
助かったことを喜ばなかった。
角兎が。
殻のそばへ寄る。
鼻先で。
動かない欠片を押した。
一度。
もう一度。
返事はない。
スライムたちが集まる。
羽の欠けた鳥が降りる。
傷ついた魔物たちが。
砕けた殻を囲んでいく。
敵を失った姿ではない。
道具を失った姿でもない。
仲間を。
失った姿だった。
ミミルは。
一枚の殻片を胸へ抱いていた。
そこに刻まれた魔力の線が。
かすかに震える。
たった一つ。
残された意思。
守りたい。
レオンは。
自分の手を見た。
この手で。
討った。
皆を救った。
そのはずだった。
なのに。
誰も。
彼を勇者とは呼ばなかった。
レオンは。
泣き声の輪の外で。
ただ。
立ち尽くしていた。
エッグが、自分の生死を初めて自分で選んだ回でした。
砕けてもなお残ったものが、次の命へ届くことを願います。