トップ / 目次 / 第三部 追跡者と魔物の森編
第66話 / 全149話
聖痕卵
誰も。
動かなかった。
動けなかった。
砕けた殻の中心で。
一枚だけ。
白い光を帯びた欠片が震えている。
弱い。
今にも消えそうな。
小さな震えだった。
「まだ……」
ミミルが顔を上げた。
「まだ、消えていません」
胸に抱いていた殻片を。
両手で包む。
記憶殻。
俺が死ぬ前に残した。
今の俺を。
次の俺へ渡すための殻。
そこに刻まれた魔力の線が。
砕けた殻の中心へ向かって。
細く。
伸びた。
光と。
光が。
触れる。
その瞬間。
俺は。
何もない場所にいた。
暗い。
身体がない。
殻もない。
魔力の腕も。
ひびも。
何もない。
俺が。
どこにもない。
また。
なくしたのか。
ミミルのことも。
角兎のことも。
集落のみんなのことも。
守りたかったことも。
全部。
……いや。
違う。
何かが。
ある。
遠くで。
とん。
とん。
一定の間を空けて。
二度。
響いた。
この合図を。
俺は知っている。
右でもない。
左でもない。
新しく決めた。
ここにいる。
忘れても。
もう一度。
互いを見つけるための合図。
とん。
とん。
今度は。
もっと近い。
『記憶核との接続を確認』
声が。
暗闇へ落ちた。
『残存殻片を核へ指定』
『固有スキル《殻継転生》を発動します』
来た。
前にも。
聞いた。
俺を。
俺ではない何かへ変える声。
『死因を解析』
『聖属性による生命活動の停止』
『神性による殻および魔力器官の消滅』
『周辺因子を検出』
『聖剣因子』
『神性因子』
『記憶殻』
『守護意思』
『因子吸収を開始します』
白い光が。
暗闇へ流れ込んだ。
痛い。
身体がないのに。
痛い。
砕かれたときと。
同じ光。
俺を殺した光が。
残った一枚まで。
消そうとしている。
◇
殻片から。
白い炎が立ち上った。
「離れろ!」
レオンが叫ぶ。
魔物たちが身をすくめた。
だが。
逃げなかった。
角兎は殻片の前に立ち。
スライムたちはミミルの足元へ集まった。
「これは浄化ではない!」
レオンが地面の聖剣を掴んだ。
刃が。
激しく鳴っている。
「剣に残った神性が、欠片を消そうとしている!」
「止められますか」
「俺が斬れば、光だけは断てる」
レオンが剣を構える。
その切っ先が。
殻片へ向いた。
角兎が。
低く唸った。
小さな身体で。
聖剣と殻片の間へ入る。
「どいてくれ」
どかない。
「今度は、あれを救うためだ」
それでも。
どかない。
当然だった。
さっきも。
同じ剣が。
同じ言葉で。
俺を殺した。
「レオン」
ミミルが。
記憶殻を核へ重ねたまま言った。
「エッグは、剣を向けられた理由を知りません」
「……ああ」
「でも、あなたが迷ったことは見ていました」
「ああ」
「最後にあなたまで庇ったことも、私は見ています」
レオンの剣が。
わずかに下がった。
「もう一度だけ。エッグが自分で選ぶまで、待ってください」
白い炎が膨らんだ。
地面を走る。
砕けた殻片が。
一枚ずつ。
光へ引かれていく。
折れた木。
杭に残った腐毒。
魔物たちの魔力。
周囲にあるものが。
すべて。
核へ向かって流れ始めた。
「まずい」
レオンが息を呑む。
「再構築が始まっている。あのままでは、近くにいる者まで材料にされるぞ」
スライムの身体から。
淡い魔力が抜けた。
羽の欠けた鳥が。
地面へ落ちる。
角兎の角から。
光が剥がれる。
「エッグ!」
ミミルが核へ呼びかける。
「それは、あなたが守ったものです!」
白い炎が。
さらに広がる。
「奪って戻るのは、あなたではありません!」
◇
聞こえた。
ミミルの声。
俺は。
戻ろうとしている。
そのために。
みんなの魔力を。
食べようとしている。
ふざけるな。
俺は。
そのために死んだんじゃない。
守りたかった。
それだけは。
殻がなくても。
覚えている。
白い光が。
俺を削る。
消される。
このままなら。
残った俺も。
なくなる。
それでも。
みんなは食べない。
これは。
俺の死因だ。
俺を殺した光だ。
なら。
食うのは。
こっちだ。
『因子吸収の対象を変更』
『周辺生命の魔力を除外』
『聖剣因子を捕捉』
『神性因子を捕捉』
ひびが。
ない。
だから。
作る。
暗闇の中で。
俺は。
自分から。
割れた。
一本。
二本。
無数のひびを。
残った核へ走らせる。
白い光が。
そのひびへ入った。
痛い。
やっぱり。
ものすごく痛い。
でも。
入る。
消すための光が。
俺の中へ。
流れ込んでくる。
『聖剣因子を吸収』
『神性因子を吸収』
『死因への適応を開始』
『《聖属性耐性 Lv1》を獲得しました』
白い炎が。
俺を焼く。
焼かれながら。
その光を。
殻の内側へ巡らせる。
『《浄化 Lv1》を獲得しました』
消滅の光を。
外へ逃がさない。
輪にする。
俺を壊す力を。
みんなを囲う力へ。
『《聖結界 Lv1》を獲得しました』
まだ。
足りない。
俺へ入ってきた神性の奥に。
細い糸がある。
聖剣へ。
レオンへ。
その向こうへ。
白い面へ。
繋がっている。
俺を消せと。
押し込んでくる意思。
いらない。
返す。
『神性攻撃の経路を反転』
『《聖痕反射 Lv1》を獲得しました』
白い光が。
逆流した。
◇
レオンの聖剣から。
金色のひびが走った。
刃を砕くひびではない。
内側に潜んでいた白い光だけを。
押し返すひび。
光は柄を抜け。
レオンの腕を駆け上がり。
その背後へ伸びた。
「ぐっ……!」
白い面が。
初めて。
声を漏らした。
離れた場所で。
折れた杭を支えていた術者の胸へ。
金色の線が浮かぶ。
白い面に。
ぴしりと。
ひびが入った。
「神性の逆流……」
面の奥から。
低い声が響いた。
「対象の再構築を確認。聖剣因子の汚染を確認」
白い面が。
レオンへ顔を向ける。
「勇者レオン。残存殻を破壊せよ」
レオンの手が。
聖剣を握り直した。
「再討伐命令である」
核の周囲で。
光が集まっていく。
丸く。
小さく。
一つの形へ。
「直ちに破壊せよ。再構築後は、周辺の魔物を含めて封印する」
「断る」
レオンが答えた。
短い。
迷いのない声だった。
「命令違反は、勇者資格の剥奪を意味する」
「好きにしろ」
「教会への反逆と記録される」
「記録しろ」
レオンは。
聖剣を鞘へ収めた。
「俺は、意思を持つ者を災害とは呼ばない」
白い面が。
沈黙した。
「自ら死を選んで他者を救った者を、魔物だからという理由で二度は斬らない」
「対象は、聖剣の神性を奪った」
「違う」
レオンは。
集まり続ける光を見た。
「俺たちが殺した。あれは、殺された力まで使って戻ろうとしている」
光の中で。
殻が形を得る。
白い殻。
そこへ。
金色のひびが。
一本ずつ刻まれていく。
ひびは。
傷に見えた。
同時に。
夜明けの光にも見えた。
「最終確認」
白い面が告げる。
「殻片を破壊せよ。さもなくば、勇者レオンを同対象の協力者と認定する」
レオンは。
金色に輝く卵の前へ立った。
剣から守るように。
白い面との間へ。
自分の身体を置いた。
「ならば、そう認定しろ」
白い面のひびが。
大きく広がった。
「承認した」
冷たい声だった。
「異常個体を正式な封印・討伐対象へ指定。勇者レオンを資格剥奪。教会への敵対者として追討対象へ追加する」
白い面は。
砕けた。
中には。
誰もいなかった。
白い破片だけが。
地面へ落ち。
光になって消えた。
あとに残った金色の線が。
新しい殻へ戻っていく。
『再構築を完了しました』
『種族が《聖痕卵》へ変化しました』
『記憶殻を統合しました』
『守護意思を定着しました』
視界が。
戻る。
最初に見えたのは。
泣いているミミルだった。
次に。
俺の前に立つ。
レオンの背中。
その向こうには。
白い面の破片。
状況が。
よく分からない。
とりあえず。
俺は右へ揺れた。
生きている。
そう伝えるために。
「エッグ……?」
ミミルが。
恐る恐る手を伸ばす。
俺の殻へ。
指先が触れた。
温かい。
知っている。
この温度を。
全部ではない。
抜けているところもある。
思い出せない顔も。
言葉もある。
でも。
目の前の人が。
大事だということは。
残っている。
俺は。
殻の内側で。
魔力を二度鳴らした。
とん。
とん。
ミミルの目から。
大粒の涙が落ちた。
「はい」
ミミルも。
俺の殻を。
二度。
優しく叩いた。
「ここにいます」
角兎が飛びついてきた。
痛い。
金色のひびへ。
前足が直撃した。
復活直後だぞ。
もう少し。
こう。
丁寧に扱ってほしい。
スライムたちも乗ってくる。
重い。
羽の欠けた鳥まで。
頭の上に降りた。
見覚えがある。
この扱い。
たぶん。
俺は戻ってきた。
殻の表面から。
淡い金色の光が広がる。
光は。
集落の魔物たちを囲み。
傷口へ触れた。
腐毒の黒ずみが。
薄れていく。
消滅させる光ではない。
痛みだけを。
汚れだけを。
静かにほどく光。
レオンが。
振り返った。
「……戻ったのか」
俺は。
右へ揺れた。
戻った。
たぶん。
大体。
「俺が分かるか」
それは。
難しい質問だった。
俺を殺した人。
最後に。
俺が庇った人。
今は。
俺の前に立っていた人。
敵か。
敵ではないか。
俺は。
少し考えた。
右へ揺れた。
分かる。
レオンが。
目を閉じた。
「すまなかった」
深く。
頭を下げる。
「謝って許されるとは思っていない。それでも、謝らせてくれ」
俺は。
左へ揺れた。
レオンの顔が固まる。
「許さない、ということか」
違う。
質問が長い。
どこへ返事をすればいいか。
分からない。
俺は。
右。
左。
右。
もう一度。
右へ揺れた。
「ふふっ」
ミミルが。
涙を拭いながら笑った。
「エッグも困っています。少しずつ、話してください」
「……そうか」
レオンが。
ほんの少し。
笑った。
◇
集落には。
もう留まれなかった。
白い面が消えても。
杭の痕跡は残っている。
教会は。
俺が戻ったことを知った。
レオンが命令を拒んだことも。
知っている。
次は。
一人では来ない。
住民たちは。
持てるものだけを抱えた。
薬草。
布。
木の器。
乾かした木の実。
壊れなかった道具。
少ない。
それでも。
生きていくには必要なものばかりだった。
ミミルは。
俺を布へ包もうとして。
手を止めた。
「熱くありませんか?」
右。
「ひびは痛みますか?」
左。
「自分で進めますか?」
右。
俺は転がった。
金色のひびから。
光がこぼれる。
夜の森では。
ものすごく目立つ。
追われている身として。
これは。
かなり駄目な進化ではないだろうか。
「隠す布を増やしましょう」
ミミルが。
真剣な顔で言った。
やはり。
駄目らしい。
集落の出口で。
レオンだけが立ち止まった。
腰には。
鞘へ収めた聖剣。
胸にあった教会の印は。
外されていた。
「俺が一緒にいれば、追手は増える」
ミミルは。
俺を抱いたまま。
レオンを見た。
「残れば、あなたはどうなるのですか」
「拘束される。抵抗すれば、敵として討たれる」
「もう敵として記録されたのでしょう」
「……ああ」
「なら、一人で残る理由にはなりません」
レオンは。
答えなかった。
俺は。
布の中から。
魔力を一本伸ばした。
前のような。
太い腕ではない。
金色の。
細い光。
それを。
レオンの袖へ巻きつけた。
「エッグ?」
引く。
こっちだ。
もう一度。
引く。
早く来い。
「俺に、一緒に来いと言っているのか」
右へ。
揺れようとして。
ミミルの腕の中だったので。
転がれなかった。
仕方がない。
袖を。
二度引いた。
とん。
とん。
レオンが目を見開く。
「その合図は」
「新しく結んだ合図です」
ミミルが答えた。
「記憶を失っても、もう一度出会うための」
「俺が受け取ってもいいのか」
それは。
俺にも分からない。
合図は。
ミミルとのものだ。
でも。
これから。
新しく決めればいい。
俺は。
光の腕で。
レオンの手を。
軽く叩いた。
一度。
少し考えて。
もう一度。
「……分かった」
レオンは。
外した印を。
集落の入口へ置いた。
聖剣は捨てなかった。
それでいい。
剣が悪いわけではない。
振るう奴が。
次に何を選ぶかだ。
「俺はもう、教会の勇者ではない」
レオンが。
俺たちの隣へ並ぶ。
「それでも、剣を持つことを許してくれるか」
俺は。
今度こそ。
ミミルの腕の中で。
右へ傾いた。
ミミルが支えてくれなければ。
そのまま落ちていた。
危ない。
復活した直後に。
落下で割れるところだった。
「では、行きましょう」
ミミルが。
俺を抱き直す。
角兎が先頭へ立つ。
スライムたちが続く。
小さな魔物たちが。
互いの荷物を支えながら。
森の奥へ歩き出す。
最後に。
レオンが。
一度だけ振り返った。
誰もいなくなった集落。
砕けた杭。
地面に置いた教会の印。
そして。
もう。
戻らなかった。
俺たちは。
一緒に森を出た。
追われる者と。
追う者ではなく。
同じ道を行く。
仲間として。
砕けたエッグは、守りたいという意思ごと帰ってきました。
勇者ではなくなったレオンもまた、自分の意思で新しい道を選びます。