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トップ / 目次 / 第四部 親権戦争編

第69話 / 全149話

奇跡を分解する錬金術師

約4,818字

井戸が。

 鳴っている。

 ごぼり。

 もう一度。

 水の底から。

 大きな泡が上がったような音だった。

 俺は。

 井戸を見た。

 井戸枠に走る。

 黒い筋。

 淡い金色の光が。

 俺の殻のひびと。

 同じ形に枝分かれしている。

 俺のひびも。

 熱を持っていた。

「エッグ」

 ミミルが。

 俺と井戸の間に入った。

「痛みはありますか?」

 右へ。

 少しだけ。

「近づくと、強くなりますか?」

 分からない。

 まだ。

 近づいていない。

 俺が井戸へ転がろうとすると。

 レオンの足が前へ出た。

「待て」

 聖剣が。

 鞘さやの中で鳴っている。

 井戸。

 俺。

 聖剣。

 三つまとめて。

 嫌な反応をしていた。

「水に毒は?」

「調べます。ただし、直接は汲くみません」

 ミミルは長い柄のついた器を使った。

 井戸の縁にも。

 水にも触れないように。

 ほんの少しだけ掬すくう。

 透明だった。

 匂いもない。

 小皿へ移した水に。

 試験紙を浸す。

 変色なし。

 薬草の粉を落とす。

 泡立ちなし。

「少なくとも、普通の毒ではありません」

 普通ではない。

 そこだけは。

 見れば分かる。

 井戸枠の光は。

 地面へ続いていた。

 細い筋が。

 廃村の外へ。

 森の向こうへ。

 何本にも分かれて伸びている。

 まるで。

 巨大な何かのひびだった。

 俺の殻だけではない。

 地面まで。

 割れている。

 いや。

 地面のひびが。

 俺に映っているのか。

 そこまでは。

 分からない。

「今は触れません」

 ミミルが。

 井戸水を入れた小瓶へ栓をした。

「五号薬の試験を終えてから、別に調べます。原因の分からない反応を、同じ作業台へ持ち込みたくありません」

 正しい。

 奇跡の井戸水を混ぜれば。

 もっとすごい薬ができるかもしれない。

 などと言い出さなくて。

 本当によかった。

 それをやると。

 何が効いたのか。

 永遠に分からなくなる。

 俺たちは。

 井戸の周りへ杭くいを立てた。

 近づくな。

 水を使うな。

 文字を読めない魔物にも分かるよう。

 赤い布を結んだ。

 角兎つのうさぎが。

 その布を鼻先で揺らした。

 そして。

 井戸とは反対へ走った。

 賢い。

 俺も。

 ついていく。

 工房へ戻ると。

 机の上には。

 五号薬の瓶が並んでいた。

 近距離。

 百二十歩。

 殻粉あり。

 殻粉なし。

 前の試験で。

 距離の影響は分かった。

 だが。

 分かったのは。

 俺の近くで安定することと。

 自然に落ちた殻粉を栓へ固定すれば、遠くでも保てることだけだ。

 なぜ安定するのか。

 それは。

 まだ分かっていない。

「聖痕を宿した卵の奇跡、でよいのではないか」

 記録を覗のぞいていた薬師が言った。

 薬師ギルドから。

 試験へ立ち会うためについてきた二人のうち。

 年上のほうだ。

「結果が同じなら、呼び方は問題ではあるまい」

「問題です」

 ミミルが。

 すぐに答えた。

「エッグがいなければ作れない薬なのか。森の素材があれば作れる薬なのか。私の製法が必要なのか。それが分からなければ、必要な人へ届けられません」

「だが、殻粉を使うのだろう」

「自然に落ちたものだけです。それも、安定の理由が別にあるなら使いません」

 声は丁寧だった。

 だが。

 一歩も引いていない。

 いいぞ。

 俺を。

 便利な薬棚にするな。

「奇跡は、エッグがいない場所で再現できません」

 ミミルは。

 記録紙を四つに分けた。

「ですから、分けます」

 一つ目。

 俺が近くにいることで起きる。

 薬性の変化。

 二つ目。

 ミミルが作った。

 殻の状態に合わせて保護層を変える製法。

 三つ目。

 森で採れた。

 新しい苔こけ。

 四つ目。

 魔力嵐の後に。

 木の裂け目から染み出した樹脂。

 候補は四つ。

 多い。

 全部を一つの鍋へ入れれば。

 うまくいく。

 だが。

 うまくいった理由は。

 何一つ分からない。

「まず、単独条件です」

 ミミルが。

 同じ濃さの薬液を。

 小瓶へ分けていく。

 薬師二人が。

 量を確かめる。

 レオンが。

 瓶を運ぶ。

 俺は。

 百二十歩離れる。

 今度はレオンではなく。

 俺が運ばれる側だった。

 自力で転がった。

 途中で。

 小石にぶつかった。

 曲がった。

 さらに転がった。

 予定より。

 十歩ほど余計に進んだ。

「エッグ、そこで止まってください」

 止まった。

 百三十歩。

 誤差だ。

 たぶん。

 最初は。

 基礎の薬液だけ。

 白い泡が。

 大きく膨らんだ。

 薬草の葉へ落とすと。

 葉の端が赤くなる。

「不安定。刺激あり」

 次。

 俺の近くに置いてから。

 百三十歩先へ運んだ薬液。

 傷をつけた苔へ垂らす。

 泡は細かい。

 傷の縁が。

 すぐに寄った。

 だが。

 しばらく置くと。

 瓶の底が白く濁った。

「効力は上昇。保存時に分離」

 俺の影響は。

 薬を強くする。

 だが。

 長持ちはさせない。

 強くして。

 放置。

 雑だ。

 実に。

 俺らしい。

 次は。

 森で採れた苔だけ。

 薬へ混ぜ。

 俺から離して作る。

 泡は粗い。

 傷が閉じる速度も。

 基礎の薬液と大きく変わらない。

 しかし。

 朝に作った瓶と。

 今作った瓶の色が。

 同じだった。

「分離なし。匂いの変化もありません」

 苔は。

 効き目ではない。

 保存。

 薬を。

 薬のままで置いておく力だ。

 次は。

 魔力嵐の後の樹脂。

 樹皮から削った薄い膜を。

 薬液へ浸す。

 白い泡と。

 黒ずんだ泡が。

 一度ぶつかった。

 いつもなら。

 そこで赤い火花が散る。

 聖属性と。

 俺が取り込んだ腐毒ふどくの性質。

 相性が。

 悪い。

 同じ殻に入っている俺も。

 時々どうかと思う。

 だが。

 火花は出なかった。

 樹脂の周りで。

 二つの泡が。

 ゆっくり混ざっていく。

「反発が弱まっています」

 ミミルが。

 慎重に瓶を傾けた。

「樹脂が、聖性と毒性の衝突を抑えています」

「魔力嵐を受けたからか?」

 レオンが聞く。

「嵐の前に採った同じ木の樹脂と比べます」

 古い樹脂では。

 赤い火花が散った。

 新しい樹脂では。

 散らない。

 魔力嵐の後にできたものだけが。

 反発を抑えていた。

 四つ目。

 ミミルの製法だけ。

 素材は。

 街でも手に入るものへ戻す。

 薄い層を。

 順番に重ねる。

 刺激を受け止める層。

 薬を逃がさない層。

 外からの魔力を。

 一度だけ通す層。

 完成した薬は。

 最初だけ整った。

 だが。

 机を揺らすと。

 泡の大きさがばらばらになった。

 ミミルが。

 瓶の側面へ。

 同じ製法で作った補修膜を巻く。

 もう一度。

 机を揺らす。

 泡は崩れた。

 少し待つ。

 ばらばらだった泡が。

 また同じ大きさへ戻った。

「変化を止めるのではなく、元の状態へ戻して固定しています」

 薬師の一人が。

 記録へ身を乗り出した。

「これが卵殻錬金術か」

「はい。ただ固める方法ではありません」

 効力。

 保存。

 反発の抑制。

 固定。

 四つとも。

 役目が違った。

 奇跡。

 便利な言葉だ。

 全部を。

 一つにまとめてくれる。

 そして。

 何も分からなくしてくれる。

「次は組み合わせます」

 ミミルが。

 新しい瓶を並べた。

 俺の近くで変質させた薬液。

 森の苔。

 嵐の後の樹脂。

 卵殻錬金術の補修膜。

 一つ抜く。

 試す。

 戻す。

 別の一つを抜く。

 また試す。

 俺の影響を抜けば。

 傷の閉じ方が遅くなった。

 苔を抜けば。

 半刻で濁った。

 樹脂を抜けば。

 赤い火花が出た。

 補修膜を抜けば。

 運んだ後に泡が崩れた。

 全部を入れる。

 薬液は。

 細かな白い泡を保った。

 傷をつけた苔へ垂らす。

 泡が傷へ集まる。

 赤くならない。

 傷が閉じる。

 瓶を揺らしても。

 少し置けば。

 元へ戻る。

 半刻後も。

 濁らない。

「五号薬。効力、保存性、低刺激性、輸送後の安定性。すべて基準内です」

 ミミルが。

 記録紙へ書いた。

 薬師たちは。

 しばらく黙っていた。

 やがて。

 年上の薬師が。

 奇跡という文字へ線を引いた。

「訂正しよう」

 その横へ。

 四つの役目を書き足す。

 それでいい。

 奇跡では。

 腹は膨れない。

 薬も増えない。

 だが。

 これなら作れる。

 俺が。

 瓶の横にいなくても。

「携帯用の栓を仕上げます」

 ミミルが。

 自然に落ちた殻粉を。

 小さな窪みへ入れた。

 薬へは混ぜない。

 薄い補修膜で。

 上下から挟む。

 さらに。

 嵐の後の樹脂を。

 外周へ塗る。

「殻粉は、薬液へ触れません。補修膜が共鳴を固定し、樹脂が外からの反発を抑えます」

「栓だけ交換できるな」

「はい。膜が傷んだ場合は、薬瓶ごと捨てずに済みます」

 完成した瓶を。

 レオンが百二十歩先へ運ぶ。

 また。

 レオンが。

「俺でなければならないのか」

「同じ人が運んだほうが、比較しやすいので」

「そうか」

 諦めた顔で。

 歩いていった。

 勇者を辞めても。

 試験運搬係からは。

 辞められないらしい。

 遠くで。

 瓶が使われる。

 泡は細かい。

 傷は閉じる。

 刺激変色なし。

 時間を置いても。

 濁らない。

「合格です」

 薬師が。

 正式採用の欄へ印を押した。

 五号薬。

 携帯用。

 補修栓つき。

 俺を。

 運ばなくていい薬。

 実用品になった。

 いい響きだ。

 俺は。

 右へ揺れた。

 そこで。

 ミミルは。

 片づけを始めなかった。

 机の端へ。

 黒い小皿を置く。

 中にあるのは。

 前に俺が腐毒を浄化したときの。

 排出物だった。

 毒性は。

 もうない。

 草へ触れさせても。

 枯れない。

 虫も死なない。

 だが。

 魔力を映す液へ落とすと。

 金と黒の細い筋が浮かんだ。

 俺の殻と。

 同じ形。

「毒が消えても、印は残っています」

 ミミルが言った。

「このまま捨てれば、探知石や捕獲具に拾われる可能性があります」

 忘れてはいけない。

 毒ではなくなったからといって。

 安全とは限らない。

 俺の場所を教える。

 目印になるなら。

 それは。

 別の毒だ。

「焼けば消えるか?」

 レオンが戻りながら聞いた。

「試します」

 乾かした排出物を。

 三つへ分ける。

 一つ目。

 火で焼く。

 黒い煙が。

 少しだけ上がった。

 灰を。

 魔力を映す液へ入れる。

 薄いが。

 金と黒の筋は残った。

「焼くだけでは不十分です」

 二つ目。

 土と灰へ混ぜる。

 見た目は。

 分からなくなった。

 だが。

 黒い探知石の欠片を近づけると。

 石が。

 かすかに震えた。

「埋めても、隠れません」

 嫌な目印だ。

 燃やしても残る。

 埋めても残る。

 しつこい。

 俺に似ている。

 三つ目。

 嵐の後の樹脂で包む。

 探知石の欠片は。

 震えなかった。

 レオンの聖剣も。

 鳴らない。

 だが。

 樹脂の膜へ傷をつけると。

 探知石が震えた。

「遮蔽しゃへいはできます。ただし、破損すれば漏れます」

「処分には足りないな」

「はい」

 ミミルは。

 焼いた灰へ。

 砕いた炭と。

 樹脂を加えた。

 さらに。

 補修膜の材料で包む。

 小さな黒い玉ができた。

 外側を。

 火で炙る。

 樹脂が溶け。

 炭の隙間へ染み込む。

 補修膜が縮み。

 全体を固める。

「まず毒性を除く。次に乾燥させる。炭と混ぜ、嵐後の樹脂で包む。最後に補修膜で固定する」

 ミミルが。

 一段ずつ記録する。

「毒性の除去と、魔力紋の遮蔽を、別の工程にします」

 黒い玉へ。

 探知石の欠片を近づける。

 反応なし。

 聖剣も鳴らない。

 机へ落とす。

 割れない。

 水へ沈める。

 膜は剥はがれない。

 火の近くへ置く。

 形は崩れない。

 最後に。

 ミミルが黒い玉を割った。

 中身を取り出し。

 魔力を映す液へ落とす。

 筋は。

 残っていた。

 消えてはいない。

 閉じ込めただけだ。

「完全な消去ではありません」

 ミミルは。

 そこも記録した。

「ですから、処分済みと放置は違います。遮蔽容器へ入れ、数を記録し、持ち出さない。膜が傷んだものは、その場で包み直します」

「容器そのものが奪われた場合は?」

「一か所へ大量に集めません。少量ずつ封じ、外から排出物だと分からない形にします」

 レオンが。

 黒い玉を見た。

「教会の探知具でも、反応しない可能性は高い」

「可能性、です」

 ミミルは言い直した。

「絶対ではありません。だから、村の外へ捨てない。売らない。普通の灰へ混ぜない。処理した数が合わなければ、すぐに移動を止めます」

 薬師二人も。

 同じ手順を書き写した。

 浄化。

 乾燥。

 炭との混合。

 嵐後の樹脂による遮蔽。

 補修膜による固定。

 分散保管。

 個数確認。

 そこまでやって。

 ようやく。

 安全な処分。

 面倒だ。

 だが。

 俺の抜け殻のようなものが。

 敵へ道を教えるよりはいい。

 俺は。

 黒い玉へ魔力腕まりょくわんを伸ばした。

 触れない距離で。

 止める。

 何も感じない。

 自分と同じ魔力紋が。

 そこにあるはずなのに。

 樹脂と膜の向こうは。

 静かだった。

 右へ揺れる。

 いい。

「では、この手順を採用します」

 ミミルが。

 最後の欄へ線を引いた。

 五号薬は。

 運べるようになった。

 俺の痕跡は。

 運ばれないようになった。

 同じ日に。

 正反対のものが完成した。

 届けたいものは。

 遠くへ。

 知られたくないものは。

 ここで止める。

 錬金術とは。

 案外。

 そういうものなのかもしれない。

 外から。

 ごぼり。

 また。

 井戸が鳴った。

 机の上の黒い玉は。

 何も反応しない。

 五号薬の泡も。

 崩れない。

 反応したのは。

 俺の殻だけだった。

 金色のひびが。

 一本。

 井戸のある方角へ伸びる。

 その先で。

 さらに遠い何かが。

 同じ形に。

 ひび割れた。

五号薬の「奇跡」を役割ごとに分解し、携帯できる実用品へ仕上げました。

同時に、浄化だけでは消えない魔力紋についても、遮蔽と管理を含む処分手順が確立します。