第70話 / 全149話
捨てた毒ほど追ってくる
遠くで。
何かが。
ひび割れた。
音ではない。
けれど。
俺の殻には響いた。
井戸から伸びた金色の筋が。
地面の下へ潜り。
森の外へ。
枝分かれしていく。
追わなければならない。
そう思った。
だが。
「待ってください」
ミミルが。
俺の前へ手を出した。
「先に、こちらを終わらせます」
机の上には。
割られた黒い玉。
その中には。
俺と同じ魔力紋が残っている。
外から探せないように。
包んだだけ。
捨てられるようになったわけではない。
「今のものは、保管法です」
ミミルが言った。
「処分法ではありません」
薬師二人が。
書き写した手順を見直す。
「しかし、探知石は反応しなかった」
「膜が破れなければ、です」
ミミルは。
割れた黒い玉を指した。
「奪われて、中身を出されたら終わりです」
その通りだった。
俺のうんこみたいなものを。
大事に保管する。
嫌すぎる。
しかも。
奪われたら追跡される。
もっと嫌だ。
俺は左へ揺れた。
これでは駄目だ。
「エッグも、同じ意見です」
「では、魔力紋そのものを消す必要があるな」
レオンが。
割れた玉の中身を見る。
薬師の一人が。
乾いた排出物を火皿へ置いた。
「燃やせば残らないのでは?」
火がつく。
黒い塊が縮み。
煙を上げ。
灰になった。
見た目だけなら。
普通の灰だ。
ミミルが。
探知石の欠片を近づける。
かち。
欠片が。
灰の方へ傾いた。
聖剣も。
低く鳴った。
俺の殻のひびが。
かすかに熱を持つ。
残っている。
燃えても。
俺だ。
「熱では消えません」
ミミルが記録する。
今度は。
別の乾いた塊を。
地面へ埋めた。
土を戻す。
踏み固める。
その上から。
探知石を動かす。
かち。
真下で。
欠片が止まった。
埋めても。
俺だ。
燃やしても。
俺だ。
しつこい。
捨てた毒ほど。
追ってくる。
「毒性と魔力紋は、別物です」
ミミルが。
二つの皿を並べた。
「毒を消しても、紋は残る。形を消しても、紋は残る」
「なら、浄化を重ねるしかないか」
レオンの言葉に。
ミミルはすぐ頷かなかった。
俺も。
嫌な感じがした。
聖痕卵になってから得た力。
《浄化》。
毒を薄め。
穢れを消す。
便利だ。
便利すぎる力は。
だいたい。
ろくでもない使い方をされる。
「少量で試します」
ミミルが。
針の先ほどの排出物を。
白い皿へ置いた。
俺は。
魔力腕を伸ばす。
触れない。
近づけるだけ。
殻の金色のひびから。
淡い光を落とした。
《浄化》。
腐った臭いが消える。
濁った色も薄くなる。
探知石を近づける。
かち。
反応した。
「もう一度、お願いします」
もう一度。
光を重ねる。
排出物が。
白くなる。
探知石が。
震えた。
さっきより。
強く。
聖剣が鞘の中で鳴る。
俺の殻まで。
引かれた。
何だこれ。
「止めます」
ミミルが皿へ蓋をした。
白くなった毒は。
蓋の下でも光っている。
「浄化されたのではないのか?」
「毒性は下がっています」
ミミルが。
魔力を映す液を一滴落とす。
白い筋。
その中央に。
金色のひび。
俺の殻と。
よく似た光だった。
「ですが、エッグの神性を受けすぎています」
「毒が、聖属性へ変わった?」
「完全には違います。毒性を残したまま、聖属性を帯びています」
薬師が息を呑む。
「聖毒……」
最悪そうな名前がついた。
実際。
最悪だった。
毒なのに。
聖なるものとして目立つ。
探知石にも。
聖剣にも。
俺にも反応する。
隠すつもりが。
光る目印になった。
「強く浄化してはいけません」
ミミルが。
手順書の一行を消した。
「毒性を消し切ろうとすれば、魔力紋へ神性が定着します」
俺は。
白い皿から距離を取った。
近寄りたくない。
自分で作ったものなのに。
いや。
自分で作ったからこそ。
近寄りたくない。
「燃焼、埋設、浄化」
ミミルが呟く。
「どれも、最初に紋へ触れています」
「紋へ触れずに消せるのか?」
「消すのではなく」
ミミルが。
五号薬の瓶を見た。
「先に、剥がします」
五号薬用の補修栓。
その内側には。
魔力嵐の後に採れた樹脂が使われている。
薬を。
俺から離れた場所でも安定させるための樹脂。
俺の魔力を増やさず。
殻粉に残った共鳴だけを。
瓶の中へ留める。
「この樹脂は、魔力を吸いません。境目を固定します」
ミミルは。
樹脂を薄く延ばした。
「排出物と魔力紋の境目も、固定できるかもしれません」
黒い塊へ。
樹脂を塗る。
乾く前に。
細いへらで表面を撫でた。
樹脂の膜が。
糸のように剥がれる。
その内側に。
青黒い筋が移っていた。
魔力紋。
塊から。
樹脂の方へ移った。
探知石を近づける。
塊には。
弱い反応。
剥がした膜には。
強い反応。
「剥がれています」
ミミルの声が。
少しだけ速くなった。
「完全ではありません。ですが、分けられます」
もう一度。
新しい樹脂を塗る。
乾かす。
剥がす。
青黒い筋が。
さらに薄くなる。
三度目。
塊の表面から。
筋が消えた。
探知石を近づける。
反応は。
ほんのわずか。
「ここで、浄化です」
ミミルが。
俺を見る。
「弱く。一度だけ、お願いできますか」
右へ揺れる。
魔力腕を伸ばす。
今度は。
光を落とさない。
殻のひびを。
一瞬だけ明るくする。
薄い。
薄い《浄化》。
残った毒気だけが。
小さく弾けた。
金色にはならない。
白くもならない。
灰色のまま。
探知石を近づける。
動かない。
聖剣も。
鳴らない。
俺の殻にも。
何も返ってこない。
「剥離してからなら、浄化が紋へ重なりません」
ミミルが。
灰色の塊を火皿へ移した。
「最後に、形をなくします」
火をつける。
塊が燃える。
煙は。
ほとんど出ない。
残ったのは。
ひとつまみの灰。
魔力を映す液へ落とす。
色は。
変わらない。
探知石。
反応なし。
聖剣。
反応なし。
俺。
何も感じない。
無紋の灰。
今度こそ。
俺ではない。
「樹脂で魔力紋を剥がす」
ミミルが書く。
「弱い浄化を一度だけ重ね、毒性を除く」
次の行。
「最後に燃やし、無紋の灰へ変える」
三段階。
順番を変えてはいけない。
最初に浄化すれば。
聖毒になる。
最初に燃やせば。
紋のある灰になる。
樹脂で包むだけなら。
中に俺が残る。
剥がす。
弱める。
燃やす。
「剥がした樹脂膜はどうする?」
レオンが尋ねた。
そこだ。
俺の紋は。
樹脂へ移っただけ。
ミミルは。
剥がした膜を五号薬用の安定樹脂へ重ねた。
膜同士が。
ぴたりと貼りつく。
「境目を固定する性質を、重ねます」
さらに。
外側へ新しい樹脂を塗る。
青黒い筋が。
内側で細く縮む。
互いに絡まり。
点になり。
最後には。
液へ落としても形を結ばなくなった。
「同じ樹脂の中で閉じた紋同士を重ねれば、向きが崩れます」
探知石は動かない。
「量を増やしすぎると、また一つの紋へ戻るかもしれません。必ず少量ずつ処理します」
便利になったと思ったら。
すぐ制限が増える。
だが。
制限が分かるのは。
悪いことではない。
知らずにまとめて。
巨大な俺の目印を作るより。
ずっといい。
薬師二人が。
新しい手順を書き写す。
排出直後は。
蓋つきの陶器へ入れる。
素手で触れない。
一回分ずつ分ける。
安定樹脂を三度まで重ね。
紋を剥離する。
剥離後に。
弱い浄化を一度。
強く光らせない。
白変した場合は。
聖毒として遮蔽容器へ戻す。
最後に焼く。
灰を魔力液と探知石で確認する。
反応があれば。
捨てずに最初からやり直す。
「保管は?」
「未処理、剥離中、処理済みを分けます」
「運搬は?」
「処理済みの灰だけです」
「数が合わない場合は?」
「全員の移動を止めます」
ミミルは。
一つずつ答えた。
排出。
保管。
処理。
確認。
運搬。
処分。
これなら。
途中で奪われても。
どの段階のものか分かる。
黒い玉を数える手順ではない。
俺の痕跡を。
本当に俺から切り離す手順だ。
ミミルが。
処理済みの灰を指でつまんだ。
補修材の小皿へ落とす。
「まだ、捨てません」
混ぜる。
灰を加えた補修材は。
すぐに粘りを増した。
板のひびへ塗る。
乾燥を待つ。
薬師が。
板を曲げた。
補修部分は剥がれない。
水へ浸す。
崩れない。
火へ近づける。
膨れない。
「硬化剤として使えます」
ミミルが。
ようやく息を吐いた。
「魔力紋がなければ、持ち出してもエッグへ繋がりません」
俺の毒が。
追跡具ではなく。
壁の補修材になる。
うんこから壁へ。
大出世だ。
喜んでいいのかは。
分からない。
俺は。
補修された板を魔力腕で叩いた。
こつ。
硬い。
右へ揺れる。
「採用、ですね」
ミミルが笑った。
手順書の最後へ。
太い線を引く。
その下に。
未処理物は捨てない。
強く浄化しない。
無紋を確認するまで運ばない。
処理済みの灰は。
補修材の硬化剤としてのみ使う。
そう書いた。
前に作った黒い玉も。
処分済みではなく。
一時保管物へ書き換えられた。
包んだから安全。
反応しないから安全。
そんな都合のいい話ではなかった。
安全とは。
壊された後まで。
考えることらしい。
面倒だ。
本当に。
とても面倒だ。
だが。
ミミルは。
俺のために。
その面倒を一つも飛ばさなかった。
俺は。
完成した手順書へ。
魔力腕の先を置いた。
紙が。
少しだけ鳴る。
右。
これでいい。
その時。
ごぼり。
井戸が鳴った。
机の上には。
五号薬。
反応なし。
剥離を終えた樹脂。
反応なし。
無紋の灰。
反応なし。
補修した板。
反応なし。
俺の殻だけが。
金色に光った。
井戸から伸びた筋が。
地面の下で枝分かれする。
今度は。
一つではない。
二つ。
三つ。
森の外にある。
別々の何かへ。
同じ形の傷が。
続いている。
「追跡ではない」
レオンが。
聖剣の柄へ手を置いた。
剣は鳴らない。
俺だけを呼んでいる。
ミミルが。
手順書を閉じた。
「これで、痕跡を残さず移動できます」
そして。
井戸の方を見る。
「次は、エッグ自身が感じているものを調べましょう」
俺は。
戸口へ向かって転がった。
捨てた毒は。
もう追ってこない。
それでも。
世界のひびは。
俺を待っていた。
捨てれば終わり、とはいかないエッグの排出物問題でした。
ようやく痕跡を断てた一行は、井戸から続く複数の傷を追います。