第71話 / 全149話
黒い探知具の売り手
井戸から伸びた傷は。
三つに分かれていた。
一つは北。
一つは東。
もう一つは。
森の外へ続く古い道。
俺たちは。
三つ目を追った。
世界の傷を調べるためだ。
そのはずだった。
だが。
森を出る前に。
傷とは別のものが見つかった。
木の根元に。
黒い粉が落ちている。
炭ではない。
土でもない。
俺のひびが。
わずかに熱を持った。
見覚えがある。
武装ゴブリンが持っていた。
黒い石。
あれと同じ。
嫌な感じだ。
俺は止まった。
後ろを歩いていたミミルも。
すぐに足を止める。
「エッグ?」
俺は。
黒い粉へ魔力腕を伸ばした。
触れない。
指すだけ。
ミミルがしゃがみ込む。
「黒い探知石の削り粉……でしょうか」
右。
たぶん。
レオンは周囲を見た。
道ではない。
獣道ですらない。
だが。
低い枝だけが。
一定の幅で折れていた。
「荷車が通っている」
「この森を?」
「小さい荷車だ。人のものではない」
レオンが。
地面へ手を当てる。
車輪の跡。
細い。
浅い。
その横には。
裸足の足跡があった。
三本指。
ゴブリンだ。
見つけた。
今まで。
どうして武装ゴブリンが。
人間の作った探知石を持っていたのか。
誰かが渡した。
それは分かっていた。
だが。
誰が。
どこから。
どう運んだ。
そこがなかった。
道は。
ここにあった。
ミミルが粉を紙へ取る。
薬液を一滴。
黒い粉の表面に。
細い線が浮いた。
「外装用の樹脂です。街の魔道具工房でよく使われるものです」
レオンが眉を寄せる。
「工房へ行くなら、俺は表に出られない」
そうだった。
元勇者。
今は。
教会から逃げた元勇者。
街へ入れば。
剣より先に。
名前が捕まる。
俺も同じだ。
黒い石が。
俺を探すためのものなら。
俺が近づくのは。
餌が罠へ入るのと同じである。
嫌だ。
とても嫌だ。
罠は。
外から見るものだ。
中から見るものではない。
角兎が。
折れた枝の下へ鼻を寄せた。
そして。
森の外へ走る。
ミミルが追おうとした。
俺は。
魔力腕で袖を引いた。
「待つの?」
右。
角兎の姿は。
すぐに木々の向こうへ消えた。
足音も聞こえない。
なのに。
分かる。
土を蹴った。
倒木を越えた。
右へ曲がった。
小さな振動が。
俺の殻の奥へ届いている。
遠い。
こんな距離まで。
分かるはずがない。
だが。
分かる。
角兎が止まった。
前足を。
二度鳴らした。
こつ。
こつ。
戻れ。
俺は右へ揺れた。
「追わずに待つ、ですね」
やがて。
角兎が戻ってきた。
口に。
細い縄をくわえている。
縄の先には。
小さな木札。
片面に。
冒険者向け魔道具工房の印。
もう片面に。
三本指で描かれた。
丸が二つ。
ミミルが首を傾げる。
「取引札?」
角兎が。
前足で地面を二度叩いた。
レオンが。
荷車の跡を見る。
「二箱、という意味かもしれない」
ゴブリンに。
文字は読めない。
だから。
絵と数で取引する。
工房の印がある札。
黒い探知石。
小さな荷車。
つながった。
まだ。
売り手の顔がない。
なら。
買うふりをすればいい。
◇
街道沿いの小さな町は。
夕方前から人が増えていた。
冒険者。
行商人。
薬草売り。
ミミルは。
外套の内側に木札を隠した。
足元には。
籠へ入った角兎。
普通の獲物に見せている。
普通ではない。
角がある。
ものすごく。
角がある。
「できれば、大人しくしてくださいね」
角兎は。
籠の中で丸くなった。
俺とレオンは。
町の外に残る。
俺は。
土を掘った浅い穴へ入った。
上から布。
その上に枯れ葉。
完璧だ。
埋められた卵である。
違う。
隠れている卵である。
たぶん。
「探知具が起動したら、すぐ離れる」
レオンが言う。
俺は右へ揺れた。
ミミルが町へ入る。
離れていく。
角兎も一緒だ。
姿は見えない。
だが。
足音が分かる。
籠が揺れた。
石畳へ入った。
人を避けた。
俺は。
地面へ魔力腕を置いた。
振動が細くなる。
消えない。
◇
ミミルは。
工房の印が刻まれた木札を。
道具屋の台へ置いた。
店主の声は。
聞こえない。
だが。
角兎の前足から。
床の振動が伝わってくる。
一度。
二度。
長く一度。
決めておいた合図。
札を見せた。
相手が警戒している。
俺の殻の内側が。
落ち着かない。
自分がいない取引を。
自分のために聞く。
変な感じだ。
しばらくして。
短い振動が三回。
奥へ通された。
ミミルは。
木札と一緒に。
黒い石の欠片を出したはずだ。
武装ゴブリンから回収したもの。
新しいものが欲しい。
そう見せるために。
床下で。
何かが動いた。
細い針。
殻が。
ちくりと痛む。
遠くにいる俺へ。
黒い探知具が触れようとした。
探している。
だが。
届かない。
俺の下には。
無紋の灰を混ぜた補修板。
周りには。
剥離済みの樹脂。
ミミルが考えた。
痕跡を切るための覆い。
針の反応は。
町と森の境で迷った。
そして。
別の方へ向いた。
籠の中。
角兎だ。
俺と共鳴した魔力を。
わずかに拾った。
まずい。
前足が。
強く床を叩く。
罠。
床下から。
金属の輪が跳ね上がった。
角兎が籠を蹴る。
籠ごと倒れ。
輪を避けた。
ミミルの靴が動く。
瓶が割れる。
白い煙。
暴れるふりをして。
視界を隠す薬だ。
角兎が。
床を蹴った。
四回。
逃げる。
取引は。
失敗。
ではない。
長く一度。
捕獲具を取った。
成功だ。
ミミルと角兎が。
裏窓から飛び出す。
同時に。
レオンが走った。
◇
レオンが町へ入ったのは。
ほんの少しだった。
外套を深くかぶり。
工房の裏口へ回る。
騒ぎは店の表。
裏には。
誰もいない。
錠を聖剣の鞘で割る。
剣は抜かない。
抜けば。
教会に気づかれる。
棚。
箱。
工具。
黒い探知具の外装が。
並んでいた。
冒険者向けの魔物探知具と。
同じ形。
だが。
中身が違う。
中心に。
細い針を入れる穴がある。
レオンは。
帳簿を探した。
机の上にはない。
棚にもない。
炉の近く。
灰箱の下。
一冊。
表紙に。
白い仮面の印。
レオンがそれを取る。
その時。
外で鐘が鳴った。
勇者を呼ぶ鐘ではない。
盗人を知らせる鐘だ。
レオンは。
帳簿を外套へ入れた。
裏口から出る。
町の壁を越え。
森へ戻った。
俺が穴から出た時。
ミミルも。
角兎も。
レオンも。
全員。
泥だらけだった。
俺だけ。
枯れ葉だらけだった。
おそろいではない。
◇
町から離れた廃小屋で。
ミミルが捕獲具を開いた。
黒い外装。
工房の印。
内側には。
銀色の細い針がある。
「この封じ方……」
レオンが。
針の周囲を見た。
「教会式だ」
工房で作ったものではない。
工房は。
外側を作った。
捕獲用の輪をつけた。
黒く塗った。
だが。
俺を探す中身は。
教会から来ている。
ミミルは。
針へ触れずに。
細いガラス板を差し込んだ。
封印文字が浮く。
所有者。
空欄。
対象。
記号。
返却先。
回収所。
「古い水路沿いです」
レオンが帳簿を開いた。
最初のページには。
工房が受け取った品が書かれている。
感応針。
十二本。
供給元。
西水路回収所。
組み立て。
黒外装。
捕獲輪。
納入先は。
冒険者組合ではなかった。
仲買人の名もない。
白い仮面の印だけ。
次のページ。
使用済みの探知具。
八個。
探知記録を抜かず。
西水路回収所へ返納。
捕獲失敗記録。
三件。
同じ場所へ返納。
作って。
売って。
終わりではない。
使った後も。
教会へ戻る。
俺が。
どこにいたか。
どう動いたか。
何に変わったか。
全部。
針が持ち帰る。
気持ち悪い。
本当に。
気持ち悪い。
だが。
まだ一つ足りない。
ゴブリンだ。
俺は。
帳簿の黒い石の絵を。
魔力腕で叩いた。
こつ。
「武装ゴブリンへ渡った経路、ですね」
右。
ミミルがページをめくる。
最後の方に。
文字ではなく。
三本指の印があった。
その横に。
森縁交換所。
廃炭焼き小屋。
受取役。
ゴブリン斥候。
代価。
鉄刃。
塩。
干し肉。
そして。
黒石四個。
運搬方法。
工房の空箱へ混載。
受渡方法。
木札一枚につき一箱。
俺たちが見つけた。
丸が二つの木札。
二箱。
帳簿には。
その先まであった。
ゴブリン斥候へ渡した黒石は。
武装集団の頭目が配る。
探知反応が出た場合。
対象を襲わせる。
捕獲に成功すれば。
生きたまま森縁交換所へ運ぶ。
失敗しても。
黒石を回収所へ返す。
武装ゴブリンは。
偶然。
黒い石を拾ったのではない。
奪ったのでもない。
工房の荷として運ばれ。
廃炭焼き小屋で。
鉄と食料の箱に混ぜられ。
木札と交換されていた。
俺たちを襲うために。
人間が。
ゴブリンへ渡していた。
「工房は、相手がゴブリンだと知っています」
ミミルが言った。
帳簿には。
受取役の指の数まで書いてある。
知らなかったとは。
言えない。
レオンが。
白い仮面の印を指でなぞった。
「依頼主の名はない。だが、針の供給と記録の回収は教会。ゴブリンへの引き渡しは、この工房が管理している」
教会の回収所。
民間の工房。
森縁の廃炭焼き小屋。
ゴブリン斥候。
武装集団。
黒い石が通った道が。
一本につながった。
俺は。
帳簿を見た。
腹は立つ。
殻の中に。
熱いものがたまる。
だが。
これでもう。
森のゴブリンだけを倒して。
終わりにはならない。
新しい石が。
また届くから。
壊すべきなのは。
持っていた手ではない。
渡し続ける道だ。
ミミルが。
帳簿の一行へ指を置いた。
次回供給。
明朝。
西水路回収所から。
感応針六本。
使用済み記録四本と交換。
「まだ、届く前です」
レオンが立ち上がった。
「回収所へ行けば、記録を受け取る者がいる」
白い仮面そのものが。
待っているとは限らない。
だが。
売り手より奥。
工房より奥。
ゴブリンへ命令を流した側へ。
一歩。
近づける。
角兎が。
床を二度蹴った。
俺の殻にも。
同じ振動が返る。
こつ。
こつ。
遠く離れていても。
さっきは届いた。
俺は。
角兎を見る。
向こうも。
俺を見ている。
これは。
仲がいいから。
だけではないのかもしれない。
分からない。
今は。
別の道を追う。
俺は帳簿から離れ。
戸口へ転がった。
古い水路沿い。
教会の回収所。
明日の朝までに。
行く。
黒い石は。
ゴブリンの手から生えたわけではない。
作った者がいる。
運んだ者がいる。
渡した者がいる。
そして。
使った後の記録を。
待っている者がいる。
黒い探知石が武装ゴブリンへ渡るまでの経路が、帳簿から一本につながりました。
次は感応針と使用済み記録が集まる、教会の回収所へ向かいます。