目次

トップ / 目次 / 第四部 親権戦争編

第74話 / 全149話

世界樹は傷を知っている

約4,880字

森へ入って。

 三十分。

 俺たちは。

 止められた。

「ここから先は、世界樹の領域だ」

 芽吹いた蔓の前に。

 三人のエルフが立っている。

 弓。

 槍。

 杖。

 歓迎する気は。

 なさそうだった。

「評議の許可は得ています」

 ミミルが。

 記録板を見せる。

 弓を持った男は。

 板ではなく。

 俺を見た。

「腐毒ふどくの臭いがする」

 鼻がいい。

 いや。

 褒めてる場合じゃない。

「エッグの内部には、腐毒因子が残っています。ただし、殻の外へ漏れないよう処置しています」

「漏れなければ安全だと?」

「安全だとは言っていません」

 ミミルは。

 俺の前へ立った。

「だから、調べに来ました」

 槍の女が。

 地面へ穂先を向けた。

 俺の前。

 三歩。

「世界樹は、試験場ではない」

 正論だ。

「それも理解しています」

「理解している者は、毒を持ち込まぬ」

 もっともだ。

 俺の中には。

 腐毒がある。

 神性もある。

 竜血もある。

 薬草もある。

 もう。

 自分でも何の卵なのか。

 よく分からない。

 聖痕卵せいこんらん。

 名前だけなら。

 きれいなのに。

 中身が。

 だいぶ混雑している。

「だから止めたでしょう」

 俺たちを案内してきたエルフの女が。

 三人の前へ出た。

「森へ入れるとは言った。世界樹へ無条件で通すとは言っていない」

 なるほど。

 入口から。

 もう検査だったらしい。

「まず、外縁の根へ連れていく。そこで異常が出れば戻す」

「戻すだけか」

 弓の男が聞いた。

「害が出れば、封じる」

 空気が。

 冷えた。

 ミミルの指が。

 俺の殻へ触れる。

 右。

 大丈夫だ。

「その場合も、先に説明してください」

「説明している間に根が腐れば?」

「私がエッグを抱えて離れます」

「間に合わなければ?」

「俺が斬る」

 レオンが言った。

 ミミルが。

 振り返る。

「根をだ」

 レオンは。

 聖剣の柄から手を離した。

「卵ではない」

 びっくりした。

 俺も。

 たぶんミミルも。

 弓の男は。

 もっと驚いていた。

「世界樹の根を斬ると言ったのか」

「毒が広がる前に、侵された部分だけを切る」

「人間が」

「ああ」

「世界樹を」

「ああ」

 強い。

 別の意味で。

 元勇者。

 森へ入って三十分で。

 世界樹を斬る宣言をする。

 俺より危険なのでは。

 角兎つのうさぎが。

 レオンから一歩離れた。

 分かる。

 俺も離れたい。

「斬らせません」

 アリアが。

 レオンとエルフたちの間へ入った。

「腐毒が根へ移る兆候があれば、私が聖術で遮断します」

「教会の術を、世界樹へ使うつもりか」

「許可なく使いません」

「では何のためについてきた」

 アリアは。

 俺を見る。

「監視です」

 はっきり言った。

「この子に残る腐毒が、世界樹へ及ぼす影響を確認します。危険があれば、教会として封護を求めます」

「まだ諦めてないんですね」

 ミミルの声が。

 硬くなる。

「危険であれば、です」

「誰が決めるんですか」

「私が見た事実を報告し、評議で――」

 俺は。

 左へ揺れた。

 アリアが。

 言葉を止める。

「……あなた自身にも、決める権利がある」

 右。

「ですが、世界樹を危険にさらす権利まではありません」

 右。

 それも。

 分かる。

 俺が決められるのは。

 俺のことだ。

 世界樹のことまで。

 勝手には決められない。

「双方が拒める条件で進む」

 案内役の女が言った。

「卵が拒めば検査を止める。森が拒めば先へ通さない」

 右。

「聖女は監視役として同行する。術を使う場合は、私の許可を得ろ」

「承知しました」

「元勇者は、剣を抜くな」

「必要がなければ」

「必要でも抜くな」

「善処する」

 駄目そうだ。

 弓の男が。

 ものすごく嫌そうな顔をした。

 外縁の根までは。

 遠くなかった。

 ただし。

 真っ直ぐにも行けなかった。

「踏むな」

 右へ。

「そこもだ」

 左へ。

「その苔こけは眠っている」

 苔が。

「その花は人の声を嫌う」

 花が。

「その根は昨夜から機嫌が悪い」

 根にまで。

 森。

 面倒くさい。

 角兎は。

 何も言われない。

 小さな足で。

 根と苔の隙間を抜けていく。

 俺も続く。

 右。

 左。

 細い根を越える。

 角兎が止まる。

 俺も止まる。

 次の瞬間。

 俺たちの前で。

 黒い芽が。

 地面を突き破った。

「下がれ!」

 エルフの杖が光る。

 緑の輪が。

 芽を包んだ。

 黒い芽は。

 一気に伸びる。

 一本。

 二本。

 五本。

 蔓になり。

 互いへ絡みつく。

 その周囲で。

 青い草が白くなった。

 葉が落ちる。

 土が。

 灰色へ変わる。

「またか」

 槍の女が。

 奥歯を噛んだ。

「また?」

 ミミルがしゃがみ込む。

 土には触れない。

 鼻を近づけ。

 小瓶のガラス越しに見る。

「魔力がありません」

「吸われた」

 案内役の女が答える。

「異常発芽した芽が、周囲の魔力を奪っている」

 黒い蔓は。

 まだ伸びている。

 その先では。

 別の木が枯れ始めた。

 葉が。

 音もなく落ちる。

「切除する」

 槍が動いた。

「待ってください」

 ミミルが止める。

「根元に魔力が集まっています。切れば――」

 遅かった。

 槍の刃が。

 黒い蔓を断つ。

 切断面から。

 緑の光が噴き出した。

 地面を走る。

 枯れた草の下へ潜り。

 離れた場所で。

 三本の黒い芽が出た。

「増えた」

 俺でも分かった。

「浄化を!」

 弓の男が叫ぶ。

 杖の光が。

 地面を覆う。

 白い草が。

 一瞬だけ緑へ戻った。

 次に。

 まとめて崩れた。

「止めろ!」

 案内役の女が。

 杖を押し下げる。

「魔力を与えるほど、芽が吸い上げる!」

 浄化が。

 餌になっている。

 黒い芽は。

 七本。

 十本。

 枯れた地面が。

 広がっていく。

「外縁根まで届くぞ!」

 エルフたちが。

 走る。

 俺は。

 動けなかった。

 殻が。

 熱い。

 金色のひびが。

 明滅している。

 いや。

 金色だけじゃない。

 殻の下。

 腐毒を抱えた部分から。

 赤い光が。

 にじんでいた。

「エッグ?」

 ミミルが戻ってくる。

「痛いですか」

 左。

「苦しい?」

 左。

「何か、分かる?」

 右。

 分かる。

 黒い芽ではない。

 芽が吸っているもの。

 土の下を流れる。

 濁った魔力。

 井戸で感じたものと。

 似ている。

 けれど。

 もっと近い。

 もっと深い。

 俺のひびへ。

 入りたがっている。

「吸収できますか」

 ミミルが聞いた。

 右へ。

 揺れようとして。

 止まる。

 できる。

 たぶん。

 でも。

 腐毒と混ざるかもしれない。

 神性とぶつかるかもしれない。

 また。

 俺の中で。

 何かが増える。

「危険なら、やらなくていいです」

 ミミルは言った。

 黒い芽が。

 さらに増える。

 エルフたちが。

 根の前へ並ぶ。

 杖で壁を作り。

 槍で芽を押さえ。

 弓で種を射抜く。

 それでも。

 止まらない。

「エッグ」

 ミミルの手が。

 俺から離れた。

「選んでください」

 右なら。

 吸う。

 左なら。

 離れる。

 俺は。

 右へ揺れた。

「駄目です」

 アリアが。

 俺たちの前へ立つ。

「腐毒因子を持つ個体へ、世界樹の淀みを取り込ませるなど――」

 右。

「結果が予測できません」

 右。

「死ぬ可能性もあります」

 右。

 知ってる。

 死ぬのは。

 嫌だ。

 痛いのも。

 砕けるのも。

 戻った時。

 何かを忘れているのも。

 全部。

 嫌だ。

 でも。

 あの根の向こうには。

 森がある。

 角兎がいる。

 魔物たちがいる。

 ミミルが。

 研究したい世界樹もある。

 俺は。

 アリアの横を抜けた。

 転がる。

「エッグ!」

 ミミルが。

 追ってくる。

 黒い芽の手前で。

 止まる。

 土が。

 冷たい。

 魔力がない。

 空っぽだ。

 なのに。

 その下だけが。

 ひどく。

 濁っている。

 俺は。

 ひびを開いた。

 赤い光が。

 地面へ伸びる。

 淀みが。

 逆流した。

 殻へ。

 入る。

 冷たい。

 腐っている。

 泥みたいな魔力が。

 ひびへ詰まる。

 生命力:18/24

 上限が。

 増えている。

 旅の間に。

 少しずつ。

 気づかなかった。

 減った。

 生命力:15/24

 早い。

 黒い芽が。

 俺へ向きを変えた。

 十本。

 全部が。

 俺へ伸びてくる。

 やっぱり。

 来るのか。

 知ってた。

 知りたくなかった。

「エッグから離れろ!」

 レオンの声。

 聖剣が。

 鞘さやの中で鳴る。

「抜くな!」

 エルフの声。

「だが!」

「エッグが吸っている!」

 案内役の女が。

 地面へ手を当てた。

「枯死域の流れが、変わっている!」

 黒い蔓が。

 俺の殻へ触れる。

 赤いひびが。

 強く光る。

 蔓から。

 濁った魔力が抜けた。

 一本。

 灰になる。

 二本。

 崩れる。

 三本。

 止まる。

 次々に。

 黒い芽が。

 しおれていく。

 生命力:9/24

 まだ。

 土の下に。

 残っている。

 俺は。

 吸った。

 生命力:6/24

 吸う。

 生命力:4/24

「もう十分です!」

 ミミルが。

 俺を抱き上げようとする。

 左。

「でも!」

 左。

 まだだ。

 奥に。

 一つ。

 硬いものがある。

 淀みの核。

 黒い針のような。

 俺を探している。

 あの反応。

 森の外から。

 近づいていたもの。

 捕獲具の欠片に似た魔力が。

 根の下へ刺さっている。

 それが。

 淀みを集めていた。

 俺は。

 魔力腕まりょくわんを伸ばした。

 土の中。

 根の隙間。

 黒い針を掴む。

 引いた。

 抜けない。

 もう一度。

 殻が。

 きしむ。

 ひび割れ率:61%

 まずい。

 でも。

 引く。

 黒い針が。

 地面から飛び出した。

 同時に。

 赤いひびから。

 濁った光が噴き上がった。

 黒い芽が。

 全部。

 崩れた。

 静かだった。

 風が。

 戻ってくる。

 白くなった草の間から。

 小さな緑が出た。

 一つ。

 二つ。

 今度は。

 黒くない。

「枯死が止まった」

 槍の女が。

 呟つぶやく。

 ミミルが。

 俺を布で包んだ。

「生命力は」

 俺は。

 右へ揺れかけて。

 止めた。

 嘘は。

 駄目だ。

 小さく。

 左。

「やっぱり減ってるんですね」

 ばれた。

 角兎が。

 俺のそばへ来る。

 鼻先を。

 殻へ当てた。

 俺の中にある淀みが。

 わずかに揺れる。

 角兎の鼓動と。

 同じ速さで。

 一度。

 二度。

 落ち着いていく。

「これは何ですか」

 アリアが。

 地面から抜けた黒い針を見ている。

「森のものではない」

 案内役の女が答えた。

 針の表面には。

 焼けたような白い印があった。

 俺を探していた反応は。

 もうない。

 追いついたのだ。

 俺に。

 そして。

 森の傷へ刺さっていた。

「持ち込まれたものだ」

「教会の品ですか」

 レオンが。

 アリアを見る。

「分かりません」

 アリアは。

 目を逸らさなかった。

「少なくとも、私の知る聖具ではありません」

 黒い針は。

 エルフの布で包まれた。

 今は。

 それどころじゃない。

 案内役の女が。

 俺の殻を見ている。

 赤いひび。

 淀みを吸った場所だけが。

 金色ではなくなっている。

「地図を」

 彼女が言った。

 弓の男が。

 森の革地図を広げる。

 さっきまで枯れていた範囲を。

 炭で囲む。

 外縁根から。

 東へ細く伸び。

 途中で二つに分かれ。

 片方だけが。

 丸く膨らんでいる。

 どこかで。

 見た。

 ミミルも。

 気づいた。

「エッグを、横に」

 布ごと。

 地図の隣へ置かれる。

 俺の殻。

 赤くなったひび。

 外縁から細く伸び。

 途中で二つに分かれ。

 片方だけが丸く膨らんでいる。

 同じだ。

 向きも。

 枝分かれも。

 終わる場所も。

「偶然ではない」

 弓の男の声が。

 震えた。

 槍の女は。

 何も言わない。

 アリアも。

 レオンも。

 ミミルの手だけが。

 俺のそばにある。

「殻の傷ではありません」

 ミミルが。

 ゆっくりと言った。

「この子のひびは――」

「森の傷を映した」

 知らない声が。

 奥から聞こえた。

 太い根の向こう。

 白い枝杖を持った老人が。

 立っていた。

 髪も。

 眉も。

 長い耳の先まで。

 樹皮みたいな灰色だった。

 エルフたちが。

 一斉に頭を下げる。

「長老」

 老人は。

 枯死域を見る。

 黒い針を見る。

 そして。

 俺を見る。

「世界樹は、傷を知っている」

 枝杖が。

 俺の赤いひびを指した。

「その卵もまた、傷を知っている」

 俺は。

 地図を見る。

 殻を見る。

 同じ形。

 井戸でも。

 同じだった。

 あれは。

 俺の傷じゃない。

 俺だけの。

 ひびじゃない。

「世界樹へ近づけるのですか」

 槍の女が聞く。

「腐毒を持っています」

「見れば分かる」

「ならば」

「腐毒を持つからこそ、淀みを吸えた」

「危険です」

「そうだ」

 長老は。

 あっさり認めた。

「ゆえに、根へは触れさせぬ」

 ミミルの肩から。

 力が抜ける。

「ただし」

 来た。

 ただし。

 嫌な予感しかしない。

「世界樹の樹液を、一滴だけ与える」

 力が。

 戻った。

 別の意味で。

「長老!」

「根へ卵を近づけるのではない。樹液をここへ運ぶ」

 長老は。

 俺へ尋ねた。

「樹液は、世界樹の命そのものだ。お前の中の腐毒と争うかもしれぬ」

 右。

「殻が割れるかもしれぬ」

 右。

「変わるかもしれぬ」

 俺は。

 止まった。

 変わる。

 死ななくても。

 何かを。

 取り込むだけで。

 俺は。

 何度も変わってきた。

 変わるたび。

 できることが増えた。

 失うものも。

 増えた。

「今すぐ答えなくていいです」

 ミミルが言う。

「体力が戻ってから、決めましょう」

 長老が。

 目を細めた。

「一滴は、明朝に用意する。それまでに選べ」

 明朝。

 考える時間はある。

 逃げる時間も。

 断る時間も。

 俺は。

 赤いひびを見る。

 森の傷と。

 同じ形のひび。

 世界樹の樹液を入れれば。

 何が分かる。

 俺の殻のことか。

 世界の傷のことか。

 それとも。

 俺の中に。

 また別の何かが。

 芽吹くのか。

世界樹の森で起きていた異常と、エッグのひびがついに重なりました。

次は世界樹の樹液、その一滴を受け入れるかどうかが問われます。