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トップ / 目次 / 第四部 親権戦争編

第79話 / 全149話

守ることと所有すること

約3,692字

黒いひびが。

 脈打った。

 どくん。

 俺には心臓がない。

 なのに。

 殻の内側で。

 何かが鳴った。

 どくん。

 黒いひびから。

 熱が落ちてくる。

 竜血。

 ずっと俺の中にあったもの。

 進化の材料。

 力の一部。

 それだけだと。

 思っていた。

『子よ』

 黒竜はもういない。

 井戸は静かだ。

 巨大な鱗も。

 金色の目も。

 どこにもない。

 それでも。

 声は血の中から聞こえた。

『選べ』

 黒いひびが。

 殻の頂点へ。

 もう少しだけ伸びる。

 痛い。

 だが。

 割れる痛みではなかった。

 何かが。

 俺の内側へ座ろうとしている。

 そんな痛みだった。

「エッグ?」

 ミミルが俺を覗のぞき込む。

 近い。

 いつもの顔だ。

 疲れている。

 黒竜が出てきて。

 世界が割れると言われて。

 それでも。

 俺を落とさないように。

 両腕で抱えている。

 守られている。

『脆きものよ』

 声がした。

『我が翼の下へ入れ』

 景色が変わった。

 井戸の周りに。

 黒い炎が広がる。

 熱くはない。

 幻だ。

 炎の向こうで。

 白い法衣が燃えた。

 銀の檻おりが溶けた。

 貴族の紋章が砕けた。

 黒い探知針が。

 一本残らず灰になる。

 誰も。

 俺へ手を伸ばせない。

 誰も。

 ミミルを連れていけない。

 誰も。

 レオンへ勇者に戻れと命じられない。

 誰も。

 アリアを教会へ縛れない。

 廃村の魔物たちも。

 角兎つのうさぎも。

 黒い翼の下で。

 傷つかずに済む。

 安全。

 圧倒的な。

 安全だった。

『我がものとなれ』

 黒い炎の中へ。

 金色の目が浮かぶ。

『汝が選ぶものも。我が財と認めよう』

 財。

 俺の殻を値踏みした連中と。

 同じ言葉だった。

 違う。

 そう思った。

 黒竜は。

 俺たちを売らない。

 削らない。

 実験台にも。

 檻にも入れない。

 ただ。

 所有する。

 誰にも奪わせないために。

 自分のものにする。

『望むならば』

 黒い熱が。

 俺の魔力腕まりょくわんへ流れた。

『汝にも与えよう』

 魔力腕が伸びる。

 太く。

 鋭く。

 竜の爪のように。

 井戸の石へ食い込んだ。

 簡単に。

 砕けた。

「エッグ!」

 ミミルの声で。

 我に返った。

 俺の魔力腕が。

 彼女の背後へ回っている。

 囲うように。

 逃がさないように。

 違う。

 守ろうとした。

 俺は。

 ミミルを守ろうと。

 そう思っただけだ。

 なら。

 なぜ。

 腕は。

 檻の形をしている。

 ミミルの肩へ。

 黒い糸が触れた。

 小さな印が浮かぶ。

 黒い。

 竜の鱗に似た印。

「これは……」

 レオンが聖剣を抜いた。

 白銀の刃が鳴る。

 ひび状の光が走る。

「離せ、エッグ」

 声は低い。

 だが。

 剣先は俺ではなく。

 黒い糸へ向いていた。

 アリアがミミルの肩を見て。

 息を呑む。

「服従の印です。契約ではありません。相手の意思を問わず、主へ逆らえなくするものです」

 服従。

 俺の中で。

 竜血が喜んだ。

 これなら。

 失わない。

 ミミルが勝手に危険へ行くこともない。

 レオンが一人で盾になることもない。

 アリアが教会へ戻ろうとすることもない。

 角兎が。

 俺の知らない場所で死ぬこともない。

 みんな。

 俺のそばに置ける。

 俺が命じれば。

 危険なことをしなくなる。

 俺が守れば。

 もう失わない。

 いい方法だ。

 本当に。

 いい方法に思えた。

『奪われる前に。所有せよ』

 黒い糸が。

 レオンへ伸びた。

 アリアへ伸びた。

 井戸の周囲にいる。

 ゴブリンたちへ。

 角兎へ。

 次々と伸びていく。

 俺は。

 止めなかった。

 止められなかった。

 失いたくない。

 工房を失った。

 殻を失った。

 記憶を失った。

 ミミルのことすら。

 一度。

 分からなくなった。

 もう。

 嫌だ。

 俺のものなら。

 なくならない。

 俺のものなら。

 誰にも取られない。

 黒い糸が。

 角兎の額へ触れる。

 角兎は逃げなかった。

 赤い目で。

 俺を見た。

 そして。

 前足を一度。

 地面へ打ちつけた。

 とん。

 違う。

 その合図を。

 俺は知っている。

 一緒に行く。

 それは。

 俺が命じた合図ではない。

 こいつが。

 自分で決めた合図だ。

 俺のものだから。

 ついてきたんじゃない。

 こいつが。

 俺を選んだ。

 黒い糸が揺れる。

 ミミルが。

 俺の魔力腕へ手を添えた。

 怖いはずだ。

 もう肩には。

 黒い印が半分浮かんでいる。

「エッグ」

 柔らかい声だった。

「私は、あなたに守られたいわけではありません」

 胸の奥が。

 冷えた。

 違う。

 殻の奥だ。

「あなたの隣で、一緒に考えたいのです」

 ミミルは。

 逃げなかった。

「危険でも、私は行きます。あなたが命じたからではなく、私がそうしたいからです」

 その言葉が。

 黒い熱へ刺さった。

 痛い。

 黒竜の爪より。

 ずっと痛い。

 俺は。

 魔力腕を動かした。

 右。

 肯定。

 それから。

 左。

 否定。

「私と一緒に行きたい?」

 右。

「私を所有したい?」

 左。

 黒い印が。

 ミミルの肩で揺れた。

 消えない。

 まだ。

 俺の血が。

 離すなと叫んでいる。

 俺はレオンを見た。

 剣を持った男。

 俺を殺した男。

 俺が蘇るために。

 勇者を捨てた男。

 レオンは聖剣を鞘さやへ戻した。

「俺にも聞くのか」

 右。

「そうか」

 レオンは。

 少しだけ笑った。

「なら、答える」

 俺を見る。

 まっすぐに。

「俺はお前の盾にはなる。だが、お前の剣にはならない」

 黒い糸が。

 レオンの手首へ巻きつく。

 偽装具の上へ。

 新しい印を刻もうとする。

「命じられて戦うのは、もうやめた」

 レオンの手が。

 聖剣の柄から離れる。

「それでも同行する。俺が選んだからだ」

 右。

 俺は。

 強く右へ揺れた。

 次に。

 アリアを見る。

 聖女は。

 黒い糸を指へ巻かれながら。

 困ったように眉を下げた。

「私は、あなたを檻へ入れようとしました」

 知っている。

「守るためだと、信じていました」

 知っている。

「でも、守ることと、閉じ込めることは違いました」

 アリアは。

 黒い糸を掴んだ。

「今度は間違えません。私は私の意思で、あなたたちと行きます」

 俺は。

 右へ揺れた。

 アリアの後ろ。

 ゴブリンたちを見る。

 小柄な一匹が。

 棍棒を抱えている。

 昔。

 敵の棍棒を受け止めたときとは違う。

 こいつは。

 俺を殴ろうとしていない。

 ただ。

 怯えている。

 俺から伸びる黒い糸に。

 震えている。

 俺は。

 一度右へ揺れた。

 一緒に行くか。

 たぶん。

 そう伝わった。

 ゴブリンは。

 仲間たちを見た。

 ミミルを見た。

 村の外へ続く道を見た。

 それから。

 棍棒の先で地面を叩いた。

 一度。

 自分の胸を叩く。

 そして。

 うなずいた。

 他のゴブリンたちも。

 順にうなずく。

 最後に。

 角兎を見る。

 聞く前から。

 角兎は俺の殻へ頭をぶつけた。

 こつん。

 痛い。

 こいつ。

 今。

 ひびが増えたらどうする。

 角兎は。

 もう一度。

 前足を打ちつけた。

 とん。

 一緒に行く。

 右。

 俺も答える。

 みんな。

 答えた。

 誰一人。

 俺のものにはならなかった。

 なのに。

 誰も。

 いなくならなかった。

『愚かな』

 竜血が吠えた。

『所有せねば。失う』

 そうかもしれない。

 危険へ行けば。

 誰かが死ぬかもしれない。

 俺だって。

 また砕けるかもしれない。

 次は。

 大事な何かを。

 もっと失うかもしれない。

 それでも。

 所有して。

 動かなくして。

 俺の言うことしか聞けなくしたら。

 それは。

 守ったことになるのか。

 俺を檻へ入れようとした連中と。

 何が違う。

 ミミルの肩にある印へ。

 金色のひびが反応した。

 神性。

 聖剣に砕かれ。

 俺の殻へ残ったもの。

 聖痕へ入った力を。

 巡らせる。

 返す。

 俺は。

 黒い糸を。

 すべて引き寄せた。

「エッグ、何を――」

 服従の力が。

 ミミルたちから剥はがれる。

 黒い印が。

 俺の殻へ集まる。

 熱い。

 竜血が暴れる。

『我が血へ逆らうか』

 今さらだ。

 一度。

 もう逆らった。

 仲間を踏み潰せという命令を。

 拒んだ。

 なら。

 二度目も同じだ。

 黒い糸を。

 金色のひびへ通す。

 殻の中を。

 一周。

 黒が。

 金へ変わる。

 聖痕が焼ける。

 生命力が削れる。

 痛い。

 やめたい。

 でも。

 これは。

 俺から出た命令だ。

 俺が壊す。

 金色の光が。

 殻の表面を走った。

 返せ。

 誰かを縛る力を。

 それを生んだ血へ。

《聖痕反射せいこんはんしゃ》

 光が弾けた。

 黒い糸が。

 一斉に砕ける。

 ミミルの肩から。

 印が消えた。

 レオンの手首から。

 アリアの指から。

 ゴブリンたちの足元から。

 角兎の額から。

 黒が剥がれ。

 金色の粒になって散る。

 俺の中で。

 何かが咆哮ほうこうした。

 遠い地の底で。

 巨大なものが。

 目を開いた気がした。

『庇護を拒み』

 黒竜の声。

『支配をも拒むか』

 俺は。

 右にも。

 左にも揺れなかった。

 違う。

 その問い方が。

 もう違う。

 守られるか。

 所有するか。

 二つしかないわけじゃない。

 俺はミミルの腕から。

 地面へ下りた。

 転がる。

 一歩。

 北西ではない。

 地図の空白へ続く方向へ。

 進んで。

 止まる。

 振り返った。

 ミミルを見る。

 右へ揺れる。

 来るか。

 ミミルは。

 俺を抱き上げなかった。

 鞄を背負い直して。

 俺の横へ立った。

「はい。一緒に行きます」

 レオンが並ぶ。

「俺もだ」

 アリアも。

 その隣へ立つ。

「私も行きます」

 ゴブリンたちが。

 少し迷ってから続く。

 角兎は。

 俺より先へ跳ねた。

 待て。

 道が分かるのか。

 角兎は止まり。

 振り返る。

 早く来いと。

 耳を振った。

 俺たちは。

 黒竜に守られる子ではない。

 俺も。

 仲間を所有する王ではない。

 危険はある。

 失うかもしれない。

 間違えるかもしれない。

 それを知ったうえで。

 一人ずつ。

 行くと決めた。

 同行者だ。

 黒いひびが。

 また脈打つ。

 どくん。

 今度は。

 俺を支配する音には聞こえなかった。

 黒い線は消えていない。

 殻の頂点へ伸びたまま。

 中には。

 竜の熱が残っている。

 だが。

 俺の殻だ。

 俺のひびだ。

 俺が。

 選ぶ。

 井戸の底から。

 また吸う音がした。

 空白の施設へ。

 世界の傷から。

 何かが送られている。

 黒竜は。

 あれを知っていた。

 俺の失った記憶も。

 あそこへ続いている。

 角兎の胸が。

 一度だけ脈打った。

 殻の内側で。

 休眠していた芽が。

 かすかに応える。

 そして。

 黒いひびの奥で。

 火が灯った。

 小さな。

 逃げ場のない炎だった。

守ることと、相手の選択を奪うこと。その境目をエッグ自身が選ぶ回でした。

黒いひびの奥に灯った炎が、次の試練へつながります。