目次

トップ / 目次 / 第四部 親権戦争編

第80話 / 全149話

孵らぬ卵の竜炎葬

約3,779字

火が。

 大きくなった。

 黒いひびの奥で。

 小指の先ほどだった炎が。

 殻の内側を舐なめる。

 熱い。

 いや。

 熱いでは足りない。

 内側から。

 焼かれている。

 俺は止まった。

「エッグ?」

 隣を歩いていたミミルが。

 すぐに屈む。

 手が伸びてくる。

 触るな。

 俺は左へ揺れた。

 ミミルの指先が止まる。

「殻の中で、何か起きていますか?」

 右。

「黒いひび?」

 右。

「さっきの炎が……」

 答える前に。

 ぼっ。

 殻の隙間から。

 黒い火が噴いた。

「離れろ!」

 レオンが叫ぶ。

 ミミルの腕を引いた。

 直後。

 地面が燃えた。

 草が。

 石が。

 土が。

 同じように黒く燃える。

 待て。

 石は燃えない。

 そういうものだろ。

 だが。

 燃えている。

 炎は何も選ばない。

 燃えるものも。

 燃えないものも。

 区別せずに焼いている。

 アリアが杖を突き立てた。

「聖域を!」

 白い光が。

 俺たちを囲む。

 半球の結界。

 黒い炎が触れた。

 じゅっ。

 光が焼けた。

 結界が。

 炎に食われていく。

「浄化が、効きません!」

 違う。

 効かないんじゃない。

 浄化まで。

 燃やしている。

 黒い火は。

 俺の殻を這った。

 金色の聖痕へ入り。

 赤いひびへ流れ。

 世界の傷をなぞるように広がっていく。

 どくん。

 殻内の芽が脈打った。

 どくん。

 世界地図が応えた。

 遠い場所の傷まで。

 一斉に熱を持つ。

 まずい。

 これは。

 俺一個が燃えて終わる火ではない。

 黒いひびが。

 殻の頂点へ達した。

 かちり。

 何かが。

 外れた。

 殻の中に。

 隙間ができる。

 そこから。

 外の空気が見えた。

 違う。

 目はない。

 なのに見える。

 空。

 森。

 ミミル。

 俺を囲む仲間たち。

 全部が。

 薄い殻一枚を隔てた向こうにある。

 殻を割れば。

 手が届く。

 足が生える。

 牙が。

 翼が。

 炎を耐える身体が。

 生まれる。

《孵化未遂ふかみすい》

 文字が揺れる。

 今なら。

 孵かえれる。

 そう分かった。

 黒い火を押し返せる身体へ。

 卵ではない何かへ。

 強く。

 完全なものへ。

 殻の内側から。

 爪が触れた。

 俺の爪だ。

 まだ形になっていない。

 孵れば。

 助かる。

 俺は。

 生きられる。

『割れ』

 地の底から。

 声が響いた。

 黒竜の声。

『殻を捨てよ』

 火が膨らむ。

 結界が軋きしむ。

『我が血を受け入れよ』

 黒い炎の中。

 印が浮かんだ。

 砕いたはずの。

 庇護の印。

『伏せば、炎は道となる』

 印の下だけ。

 炎が割れた。

 黒竜の庇護へ入れば。

 逃げられる。

 俺も。

 ミミルも。

 レオンも。

 アリアも。

 ゴブリンたちも。

 角兎つのうさぎも。

 助かる。

 代わりに。

 黒竜のものになる。

 俺は。

 炎の向こうを見た。

 ミミルが鞄から薬瓶を出している。

 レオンが聖剣を抜いている。

 アリアが焼かれる結界を支えている。

 ゴブリンたちが。

 濡れた布と土を運んでいる。

 角兎が。

 俺の前から動かない。

 誰も。

 印の下へ逃げていない。

「エッグ」

 ミミルが。

 俺を見る。

「あなたが決めてください」

 逃げろとも。

 孵れとも。

 言わなかった。

「私は、私で決めます」

 そうだった。

 俺たちは。

 それぞれ決めて。

 ここに立った。

 俺が。

 こいつらの行き先を決めていいわけがない。

 黒竜にも。

 決めさせない。

 俺は右へ揺れた。

 ミミルの目が。

 少しだけ細くなる。

 たぶん。

 伝わった。

 俺も。

 俺で決める。

『ならば孵れ』

 黒竜の声が落ちる。

『力を得よ』

 殻の中の爪が。

 黒いひびを押した。

 みし。

 空間が歪む。

 俺の周りで。

 森が割れた。

 木々が左右へずれ。

 同じ岩が二つ重なって見える。

 遠くの山が。

 一瞬だけ。

 真ん中から裂けた。

 まだ孵っていない。

 少し押しただけだ。

 それで。

 これか。

『汝が殻は、世界の殻』

 黒竜の声。

『完全に孵れば、世界も割れる』

 脅しではなかった。

 今なら分かる。

 殻を開けば。

 この身体だけでは済まない。

 世界地図になったひびが。

 全部。

 開く。

 殻内の芽が。

 激しく脈打つ。

 孵れと。

 生きろと。

 根が記憶殻へ食い込む。

 残してきたものを。

 失わせまいとする。

 青白い草原が見えた。

 白い光。

 並べられた魂。

 器を選ぶ何か。

 俺は。

 そこにいた。

 人間だった俺ではない。

 もっと古い。

 血の中の俺。

 巨大な翼。

 黒い鱗。

 傷ついた大地。

 空から降りる白い柱。

 黒竜は。

 その柱へ炎を吐いた。

 魂を器へ押し込む。

 白い施設を。

 焼こうとしていた。

 だが。

 焼けなかった。

 炎は柱に吸われ。

 黒竜の血だけが。

 砕けた器へ流れ込んだ。

 小さな。

 孵らない卵へ。

 光景が切れる。

 そうか。

 あれは。

 俺の記憶ではなかった。

 黒竜の血に残った記憶。

 竜血が。

 俺を選んだのではない。

 行き場を失って。

 ひびへ入り込んだ。

 それでも。

 中に残った意思は。

 俺を子と呼び。

 同じ失敗をさせまいとしている。

 だから。

 孵るなと言った。

 だから。

 支配してでも止めようとした。

 分かった。

 分かったけど。

 従う理由にはならない。

 俺は。

 殻の中の爪を引いた。

《孵化未遂》

 文字が。

 ひどく揺れる。

 それでも。

 拒む。

「エッグ!」

 結界が割れた。

 黒い炎が。

 全員へ押し寄せる。

 俺のひびから。

 一本目の魔力腕まりょくわんを出す。

 ミミルへ。

 二本目。

 レオンとアリアへ。

 三本目。

 ゴブリンたちへ。

 四本目。

 角兎へ。

 足りない。

 腕が細い。

 炎が速い。

 聖痕を開く。

 金色の光が。

 四本の腕を包んだ。

《聖結界せいけっかい》

 半透明の壁が。

 仲間たちの背後へ立つ。

「待ってください!」

 ミミルが叫ぶ。

 待てない。

 押す。

 四本の腕で。

 全員を。

 結界ごと。

 炎の外へ。

 ミミルの靴が。

 地面を滑る。

「エッグ、やめて!」

 左へ揺れたい。

 やめると言いたい。

 でも。

 俺は揺れなかった。

 さらに押す。

 レオンが聖剣を地面へ刺した。

 耐えようとする。

「一人で決めるな!」

 そうだ。

 一人で決めるな。

 その通りだ。

 だから。

 お前が残ることも。

 俺が決めさせない。

 魔力腕を。

 聖剣へ巻きつけた。

 引き抜く。

「なっ――」

 レオンの身体が下がる。

 アリアが。

 白い鎖を俺へ伸ばした。

「封護器へ! 内側なら炎を抑えられます!」

 銀格子が開く。

 俺の前へ置かれた。

 黒い炎が触れる。

 銀が。

 溶けた。

 封じるための力も。

 焼かれる。

 アリアの顔から。

 血の気が引いた。

 もう。

 外から消す方法はない。

 なら。

 中へ入れる。

 全部。

 俺の中へ。

 ひびを開く。

 赤いひび。

 金色のひび。

 黒いひび。

 殻中の傷を。

 炎へ向ける。

《因子吸収》

 黒い火が止まった。

 一瞬。

 森中の炎が。

 俺へ振り返ったように見えた。

 来い。

 お前は。

 黒竜の血から生まれた。

 俺の中で灯った。

 なら。

 他へ行くな。

 俺だけを焼け。

 炎が。

 逆巻いた。

 焼けた草から。

 石から。

 土から。

 崩れた聖結界から。

 黒い火が剥はがれる。

 一本の渦となり。

 俺へ集まる。

 熱い。

 熱い。

 熱い。

 生命力が減る。

 殻が赤くなる。

 金色の聖痕が黒ずむ。

 四本の魔力腕が震える。

 それでも。

 押す。

 仲間を。

 炎の外へ。

「エッグ!」

 ミミルが手を伸ばす。

 遠い。

 あと少し。

 結界の端が。

 黒い火の外へ出た。

 アリア。

 ゴブリンたち。

 角兎。

 レオン。

 最後に。

 ミミル。

 全員。

 外へ出た。

 四本の魔力腕を切る。

 聖結界を閉じる。

 俺一個だけを。

 中に残して。

 炎が落ちた。

 空が。

 黒くなる。

 違う。

 見えているのは。

 俺の殻を埋め尽くす火だ。

 ひび割れ率:91%

 まだ。

 終わらない。

 竜血因子を開く。

 殻の奥に沈んでいた。

 古い血。

 強い血。

 俺を。

 俺ではないものに変えようとしていた血。

 全部。

 炎へ晒す。

 黒い火が血を見つけた。

 噛みつく。

 竜の咆哮ほうこうが。

 俺の中で弾けた。

『なぜ孵らぬ』

 黒竜の声。

 分かっているくせに。

 俺が孵れば。

 強くなる。

 炎にも耐えられる。

 こいつらを。

 俺の翼の下へ置ける。

 誰にも奪われないように。

 守れる。

 でも。

 翼の下から出る自由まで。

 俺が奪う。

 それは。

 黒い糸と同じだ。

 俺は王じゃない。

 飼い主でもない。

 ただの。

 ひび割れ卵だ。

 同行者だ。

 ひび割れ率:95%

 殻の表面が剥がれた。

 白い欠片が。

 火の中で灰になる。

 まずい。

 あれは。

 記憶殻。

 ミミルと決めた合図。

 薬を作ったこと。

 森を転がったこと。

 死んで。

 忘れて。

 それでも。

 もう一度。

 隣に立ったこと。

 全部を刻んだ殻。

 魔力腕を伸ばす。

 拾おうとする。

 腕が燃えた。

 欠片は。

 指先へ届く前に。

 崩れた。

 灰が舞う。

 やめろ。

 それは。

 持っていくな。

 炎は止まらない。

 記憶殻が。

 一枚。

 また一枚。

 灰になる。

 覚えていろ。

 俺。

 忘れるな。

 ミミルを。

 レオンを。

 アリアを。

 ゴブリンたちを。

 角兎を。

 俺が。

 選んだことを。

 ひび割れ率:98%

 生命力:1/24

 視界が暗い。

 音も遠い。

 それでも。

 結界の向こうから。

 地面を叩く音がする。

 ミミルが。

 何か叫んでいる。

 聞こえない。

 角兎の鼓動だけが。

 かすかに届く。

 どくん。

 殻内の芽が。

 同じように応える。

 どくん。

 まだ。

 残っている。

 根は焼けながら。

 殻の一番深い場所へ潜っていく。

 だが。

 俺には。

 もう守れない。

 最後の記憶殻が。

 炎に包まれた。

 そこには。

 新しく交わした合図があった。

 右。

 一緒に行く。

 左。

 嫌だ。

 単純で。

 足りなくて。

 それでも。

 俺の言葉だった。

 火が。

 その紋を焼く。

 右が消える。

 左が消える。

 最後に。

 ミミルの手の温度が。

 消えた。

 ひび割れ率:99%

『汝は、何を守った』

 黒竜が問う。

 何も。

 俺の中には。

 もう。

 ほとんど残っていない。

 殻も。

 記憶も。

 力も。

 全部。

 焼けた。

 それでも。

 炎の外に。

 立っている。

 誰の印もない。

 誰の所有物でもない。

 あいつらが。

 残っている。

 なら。

 十分だ。

 俺は。

 最後の魔力で。

 右へ揺れようとした。

 身体は。

 動かなかった。

 代わりに。

 殻の中で。

 小さく振動する。

 行け。

 好きな場所へ。

 自分で決めて。

 行け。

 ひび割れ率:100%

 殻が。

 割れた。

 孵るためではない。

 焼け落ちるために。

 黒い炎が。

 最後の欠片を呑む。

 生命力:0/24

 熱が消えた。

 痛みが消えた。

 音が消えた。

 俺の殻は。

 灰になった。

 記憶殻も。

 聖痕も。

 竜血も。

 全部。

 黒い地面へ崩れた。

 誰かのものになることなく。

 誰かをものにすることなく。

 ひび割れ卵は。

 孵らないまま。

 焼け死んだ。

最後まで孵化ふかを拒み、エッグは仲間の自由を守る道を選びました。

次回、焼け残ったものが新たな殻の核になります。