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トップ / 目次 / 第四部 親権戦争編

第81話 / 全149話

灰より帰る竜の卵

約3,522字

何もない。

 暗い。

 熱もない。

 痛みもない。

 音もない。

 俺も。

 いない。

 何かが終わった。

 それだけは分かる。

 けれど。

 何が終わったのか。

 分からない。

 名前がない。

 形がない。

 思い出せない。

 灰。

 俺だったものは。

 もう、それだけだった。

 ――殻片を確認できません。

 どこからか。

 文字だけが浮かぶ。

 ――再構築核が存在しません。

 ――《殻継転生かくけいてんせい》の発動条件を満たせません。

 そうか。

 駄目だったのか。

 何が。

 分からない。

 けれど。

 駄目だったらしい。

 意識が薄くなる。

 灰が冷えていく。

 散っていく。

 その底で。

 どくん。

 何かが脈打った。

 俺ではない。

 小さい。

 あまりにも小さい。

 焼け焦げた根が。

 灰の下から伸びていた。

 根は。

 殻のない場所を探る。

 何も見つからない。

 それでも。

 諦めない。

 灰を一本ずつ結ぶように。

 細い根が広がっていく。

 どくん。

 また。

 今度は遠くから。

 別の鼓動が返ってきた。

 速い。

 小さい。

 けれど。

 知っている。

 誰だ。

 分からない。

 なのに。

 その音を失いたくない。

 どん。

 地面を蹴る音。

 どん。

 もう一度。

 灰が跳ねた。

 焼けた根が震える。

 根から。

 何かが流れ込んできた。

 青白い草原。

 白い光。

 並べられた、いくつもの器。

 選ばれるもの。

 捨てられるもの。

 ひび割れて。

 外へ落ちる、小さな卵。

 知らない。

 いや。

 これは。

 俺だ。

 どん。

 地面を蹴る音が重なる。

 森を転がった。

 追いかけてくる足音があった。

 止まれば。

 鼻先で押された。

 右へ転がれば。

 同じ方向へ跳ねた。

 左へ転がれば。

 耳を伏せた。

 そうだ。

 角兎つのうさぎ。

 ホーンラビット。

 仲間。

 その言葉が浮かんだ瞬間。

 灰の中へ。

 一筋の熱が戻った。

 ――外部共鳴を確認。

 ――記憶魔力紋の残滓を検出。

 ――再構築核としては不足しています。

 足りない。

 なら。

 終わりか。

 焼けた根が。

 灰の奥へ潜る。

 そこには。

 殻片も。

 記憶殻もない。

 ただ。

 竜炎に焼かれた死因と。

 焼けながら灰へ溶けた竜血だけがある。

 根が。

 それらへ巻きついた。

 どくん。

 炎が灯る。

 今度の炎は。

 俺を焼かなかった。

 灰を集めた。

 黒い粒が。

 根へ吸い寄せられていく。

 この根は。

 ただの根ではない。

 殻の内側で。

 ずっと。

 俺の経験を留める魔力紋に、絡みついていた。

 殻は灰になった。

 けれど。

 根には。

 殻の形が。

 写し取られたまま残っていた。

 ――代替核を確認。

 ――未知の植物因子。

 ――竜血因子。

 ――死因:竜炎。

 ――外部記憶共鳴を固定。

 ――植物因子に転写された殻の魔力紋を、殻片として扱います。

 ――代替核は再構築の骨組みとして定着します。以後、代替核として分離することはできません。

 一度きり。

 次に殻が残らなければ。

 もう、この根は使えない。

 ――《殻継転生》を発動します。

 灰が。

 回る。

 一粒。

 また一粒。

 散った俺が。

 戻ってくる。

 黒い炎が輪になり。

 その中心で。

 根が骨組みのように丸くなる。

 その上へ。

 灰が積もる。

 熱で固まる。

 殻になる。

 薄い。

 だが。

 割れない。

 また灰が重なる。

 硬くなる。

 表面へ。

 黒い鱗のような模様が浮かぶ。

 火が走った。

 それでも。

 殻は焼けない。

 火が消えた場所から。

 欠けた端が灰となり。

 すぐに元の形へ戻る。

 ひびが生まれる。

 頂点まで伸びた。

 あの黒いひび。

 今度は。

 炎を閉じ込める傷ではない。

 内側から。

 赤黒い光が漏れる。

 生命力:1/32

 どくん。

 生命力:8/32

 どくん。

 生命力:19/32

 どくん。

 生命力:32/32

 音が戻った。

「エッグ!」

 その声が。

 最初に聞こえた。

 知っている。

 誰だ。

 分からない。

 けれど。

 知っている。

 灰の殻が。

 内側から震えた。

 視界が開く。

 焼けた地面。

 崩れた結界。

 白銀の剣を構える男。

 膝をついた女。

 その隣で。

 何度も地面を蹴っている角兎。

 そして。

 黒い竜。

 全部。

 見える。

 全部。

 力に見えた。

 女の魔力。

 男の剣に宿る光。

 角兎の生命。

 黒竜の血と炎。

 欲しい。

 殻のひびが開く。

 灰が風に逆らって集まる。

 焼けた草。

 砕けた石。

 結界に残る魔力。

 全部が。

 俺の中へ吸い込まれた。

 足りない。

 もっと。

 生きるために。

 強くなるために。

 食え。

 取り込め。

 竜は。

 強いものを喰らう。

 弱いものも喰らう。

 すべてを力に変える。

 赤黒い光が。

 女へ伸びた。

「待て!」

 白銀の剣が割り込む。

 邪魔だ。

 なら。

 こいつから。

 殻の内側で。

 炎が膨らむ。

 男の顔が強張った。

 それでも。

 退かない。

 女を庇っている。

 なぜだ。

 食えば。

 もっと強くなれる。

 守れる。

 すべてを俺の中へ入れれば。

 もう失わない。

 誰も離れない。

 誰にも奪われない。

 俺のものになる。

 俺の。

 もの。

「エッグ」

 女が呼んだ。

 男の後ろから。

 一歩だけ前へ出る。

「私は、ここにいます」

 近い。

 食える。

 手を伸ばせば。

 いや。

 腕はない。

 だから。

 ひびから伸ばす。

 赤黒い魔力が。

 四本の腕になった。

 女の肩へ。

 首へ。

 胸へ。

 触れる直前。

「戻ってきてくれたのですね」

 女は逃げなかった。

 命令もしなかった。

 ただ。

 両手を開いた。

「あなたが、選んでください」

 選ぶ。

 その言葉が。

 殻の奥へ落ちた。

 右。

 一緒に行く。

 左。

 嫌だ。

 単純で。

 足りなくて。

 それでも。

 俺の言葉だった。

 誰と交わした。

 この女だ。

 名前は。

 ミ。

 ミミ。

 ミミル。

 そうだ。

 ミミル。

 俺を拾った。

 捨てなかった。

 素材にしなかった。

 忘れた俺と。

 もう一度。

 合図を作った。

 俺のものではない。

 俺を所有する者でもない。

 相棒。

 赤黒い腕が。

 ミミルの前で止まる。

 食え。

 殻の奥で。

 何かが吠える。

 取り込め。

 失う前に。

 嫌だ。

 これは。

 俺の飢えだ。

 竜血の命令ではない。

 黒竜の命令でもない。

 なら。

 俺が決める。

 魔力腕まりょくわんを。

 握る。

 自分の殻へ向ける。

 四本の腕が。

 俺自身を囲んだ。

 食わない。

 こいつらは。

 力ではない。

 生命でもない。

 俺のものでもない。

 一緒に行くと。

 それぞれが決めた。

 仲間だ。

 俺は。

 右へ揺れた。

 ごとり。

 灰色の殻が。

 確かに右へ傾いた。

 ミミルの目から。

 涙が落ちた。

「はい」

 その一滴が。

 灰の殻へ触れる。

 ひびの光が。

 静まった。

 飢えは消えない。

 炎も消えない。

 それでも。

 俺の中にある。

 俺が選べる。

 ――竜血因子の定着を確認。

 ――竜炎死因への適応を確認。

 ――植物因子による再構築核の固定を確認。

 ――進化条件を満たしました。

 個体名:エッグ

 種族:灰竜卵

 種族ランク:A-

 レベル:1/40

 ひび割れ率:12%

 生命力:32/32

 魔力:41/41

 攻撃力:18

 防御力:34

 敏捷:4

 知力:11

 運:1

 固有スキル:

 《殻継転生 Lv3》

 《孵化未遂ふかみすい Lv4》

 《因子吸収 Lv4》

 通常スキル:

 《魔力腕 Lv4》

 《火炎無効 Lv1》

 《灰再生はいさいせい Lv1》

 《竜威圧りゅういあつ Lv1》

 《竜鱗殻りゅうりんかく Lv1》

 称号:

 《転生者》

 《孵化不全ふかふぜん》

 《灰より帰る者》

 《竜炎を継ぐ卵》

 灰竜卵。

 竜。

 卵。

 やっぱり。

 卵ではあるらしい。

 聖の力は、ひとつ残らず消えていた。

《聖痕反射せいこんはんしゃ》も、もう無い。

 反射先を選べないあの力は、いつか仲間を巻き込むはずだった。

 結局、一度も、仲間を巻き込まずに済んだ。

 それだけは、惜しくない。

 そこは変わらないのか。

 いや。

 今は。

 それでいい。

 俺は孵かえらなかった。

 それでも。

 戻ってきた。

 黒竜が。

 焼け跡の向こうから俺を見下ろす。

 瞳に。

 さっきまでの怒りはない。

 だが。

 甘さもない。

『我が炎を受け、なお殻を選んだか』

 低い声で。

 空気が震える。

『力を得て、喰らわぬと選んだ』

 黒竜が。

 ゆっくりと首を下げる。

『試練は終わりだ』

 ミミルの前へ。

 レオンが立つ。

 剣は下ろさない。

「次は、何を要求する」

『何も』

 黒竜は短く答えた。

『卵は我のものではない』

 その言葉に。

 胸の奥が震えた。

 胸。

 ないけど。

 たぶん。

 その辺だ。

『されど、放置もせぬ』

 黒い翼が開く。

 灰が舞い上がる。

 俺の殻から剥はがれた灰も混じった。

 だが。

 失われない。

 舞った灰は。

 赤黒い光を引いて戻ってくる。

 殻の小さな傷を埋めた。

『我は見届ける』

 黒竜の視線が。

 俺のひびへ向く。

『汝が何を選び、何にならぬかを』

 何にならぬか。

 変な言い方だ。

 けれど。

 完全に孵らないことを。

 こいつは知っている。

『所有者としてではない』

 黒竜は。

 俺と同じ高さまで頭を下げた。

『師として、同行を許そう』

 許そう。

 偉そうだ。

 というか。

 こっちはまだ。

 一緒に来ていいとは言っていない。

 俺は左へ揺れかけた。

 その前に。

 角兎が跳ねた。

 黒竜の鼻先へ。

 後ろ脚で。

 蹴った。

 ごっ。

 黒竜の頭が。

 ほんの少しだけ傾く。

 沈黙。

 長い沈黙。

 レオンが剣を握り直した。

 ミミルが角兎を抱き上げる。

「あの、今のは、その……」

『よい』

 黒竜の鼻先に。

 小さな足跡が残っている。

『これもまた、我を所有者と認めぬらしい』

 角兎が。

 ミミルの腕の中で鼻を鳴らした。

 そうだ。

 よくやった。

 俺は右へ揺れた。

 黒竜の目が細くなる。

 怒ったか。

 知らん。

 焼くなら。

 今度は効かない。

 たぶん。

 いや。

 技能名を信じるなら。

 黒竜は鼻から息を吐いた。

『行くぞ、灰の子』

 勝手に決めるな。

 俺はもう一度。

 左へ揺れた。

 ミミルが。

 泣きながら笑った。

 焼け野原の上で。

 灰から戻った俺は。

 孵らないまま。

 また。

 自分で選ぶために。

 転がり始めた。

灰になったエッグは、仲間との共鳴を核に再び帰ってきました。

孵らないことも、喰らわないことも、彼自身が選んだ答えです。